2006-12-20

除夜の鐘と煩悩と(知恩院)


除夜とは、旧年を除く夜という意味で、12月31日の大晦日の夜を言います。
この夜、除夜の鐘を108回、撞く。
除夜の鐘を撞き、その音を聞くことによって、この一年のうちにつくった罪を懺悔し、罪をつくる心を懺悔し、煩悩を除き、清らかな心になって新しい年を迎える行事だということは、まあ、誰もが知ってますな。べつに、姫納めと姫初めの日にしても、いいんですけどね(笑)

ところで、人には108の煩悩があると言われています。煩悩とは、愛着、執着のことで、自分にとって離しがたい、捨てがたい感情や感覚のことです。我ながら、それは常々思うところで。

それではなぜ、煩悩は108なんですかね? ウロ覚えだったので、ちょいと調べてみました。

その数えかたには、次のようなものがあります。
まず、人間の身体全体の働きを表すものとして、六根があります。六根は、眼、耳、鼻、舌、身、意の6つであり、それぞれに好、悪、平の3種があり、6×3で18個。
次に、人身に入って本来の清らかな心を穢すものとして、六塵というものがあります。色、声、香、味、触、法の、これも6つがあり、それぞれに、苦、楽、捨の三受があるので、これも6×3で、やっぱり18個。
以上をすべて足すと,36個になり、この36個は、三世 (現在、過去、未来) のすべてにわたって存在するから,36×3で、108個。
これが、煩悩が108ある由縁ですわ。ほとんどこじつけのような話ですが…。
こじつけと言えば、四苦八苦→4×9+8×9=108というのもありますが、あれこそまさにこじつけ(笑)
んで、それらを、除夜の鐘を撞くことによって,取り除いてしまおうというのが,除夜の鐘の行事です。

さて、除夜の鐘といえば、なんといっても知恩院のそれが有名です。TVでも、毎年、「ゆく年くる年」で中継されてま。(今もやってるのかしら?)
試し撞きまでがニュースになるけれども、もっとも試し撞きそれ自体が歳時記のようなものです。

知恩院の鐘の撞きかたはかなり独特で、親綱を持つ僧1人と子綱を持つ僧16人で撞木に勢いをつけ、親綱の僧の、「えーい、ひとーつー」の掛け声で、子綱の僧が、やはり「えーい。ひとーつー」と応え、そのあとに「ひとーつー」と声をあげながら、手を緩め、親綱の僧が綱にぶら下がり、撞木の勢いをさらにつけて、鐘を撞く。全体重をかけて、鐘木を鐘にぶつけるのだ。撞いた瞬間に、鐘の音が大きく京都中に響きわたります。
鐘を撞く僧は、命がけというほど大げさではないものの、親綱を離すとどこかへ吹っ飛んでしまうので、大変です。失敗すると恥ずかしいだろうし、無論、そうならないように練習するための試し撞きなのでしょうが、なんせ、70トンはあろうかという鐘ですからね。
僧侶にとっては、鐘を撞くことは修行でもあるけれども、ハレの舞台でもあるわけですね。ここで鐘を撞くこと自体が、選ばれることですから。

知恩院の鐘は、1636年 (寛永13年) に鋳造されたものですが、あまりの重さに、鐘を吊るための環が何度も壊れ、刀匠村正・正宗によってようやく吊るすことが出来た、という話も残っています。その撞木は、長さ4メートルの代物。
なにもかもが、桁外れにデカいですな。

最近は、初詣といえば地元の天満宮に行くことが多いので、知恩院はおろか清水寺にも行ってまへん。
あ、でも、除夜の鐘はお寺さんで、初詣は神社か…。

ほいで、なんでこんなことをツラツラと書いているのかというと、じつは来月、オーストラリアに出張になりそうなんですわ。ほんまは今月アメリカのロスに出張予定があったんですが、それはなんとか逃げ切りました。でも、来月のオーストラリアは、きっと行きます。
きっと行くんですが…、問題は、
オレ、これまでに行ったことのある国は108ヶ国なんです。そこでストップさせてるんですわ。これ以上増えると、煩悩を超えてしまうんで(笑)
オーストラリアは未知の国。行くと、109ヶ国目になってしまいます。
さて、どーしたものやら…。


最近、こればっかり聴いてます。

Jane Birkin / Erisa

2006-12-15

夜の音楽


夜の音楽、というジャンルがあります。

夜の静けさのなかで着想された、夜の感覚で音を表現した、夜の孤独者にふさわしい音楽、というほどの意味ですかね。ショパンやフォーレが、そういう微妙な音楽をよく書きました。マーラーの第7交響曲も、夜の音楽としてつくられています。バルトークは、ルーマニアの山村の、深い夜のしじまのなかに聞いたカエルの声から、神秘的な彼の夜の音楽を作曲しました。けっして、尾崎豊がどうとかという話ではなく(笑)

夜の音楽は、不思議なジャンルです。

人々が寝静まって、あたりは深い静けさに包まれる。人間の意思や欲望が掻き立ててきたノイズが消え去ると、かわってそこには、べつの種類のノイズ、自然の内部から湧き上がってくる、たくさんの微妙で、豊かな音楽が、聞こえてくるようになります。しかし、夜のなかで人は眼が見えないから、それがどこから、また誰からやって来る音なのか、わかりません。
そのために、夜のしじまの全体が、この複雑で微妙な音を奏でているような気がするのですね。
人はその体験をもとにして、夜の音楽をつくります。かすかな震え、いつまでも続くかと思われる反復のなかから発生する微妙なうねり、最小限度の要素だけから生み出される、宇宙にも匹敵する複雑さ…。

夜の京都の庭で聞こえてくるのは、このような夜の音楽です。百鬼夜行の音楽とは、まさにそのような音楽です。

京都には、ナマのままの自然は存在しません。どんな小さな自然でも、そこでは、人間の精神によってたわめられ、手を加えられなかったものはありません。
庭園の設計者たちは、ナマのままの自然から、最小限度の要素だけを取り出し、宇宙と生命のすべてを表現してみようとしたわけです。

一面に敷きつめられた砂、その砂の表面に、反復する模様だけが描かれている。月明かりのもと、その反復のなかから、微妙で、豊かな音楽が発生してくる。静かに、渦が巻き起こり、空気がうねっていくような、眼に見えない動きをはじめる。そうすると、さらさらの、抽象的な砂だけでつくられた庭が、精妙な生命を持つもののように、感じられてくる…。
そんなかんじです。

また、べつの庭では、地面を覆い尽くす苔が、あたりをふかふかの緑に変えています。隠花植物である苔には、花はありません。そこでは、生命の花は、眼に見える植物の表面にはあらわれては来ず、見えない生命の内部空間に咲きだします。
そのとき、夜の庭にいて、無数の苔に囲まれたオレは、生命のあでやかな花を見るのではなく、まず、聴きます。表面の彩りは否定され、そのかわりに、植物の内部からは、生命が華麗な夜の音楽に姿を変えて、庭のすみずみまでを充たしています。

京都の町中の、市民の芸術家たちも、負けてはいませんね。
彼らは禅宗庭園を造ります。この抽象の原理を、騒がしい町のなかに持ち込んで、もっと現世的な魅力を持った、彼らの庭を造り出してきました。家並みのひしめきあう京都の町屋の内側に、市民は小さな坪庭を造ってきました。

坪庭は、町屋のパテオに出現する、一種の空中庭園です。
夜、柔らかい灯りに照らされて、その小さな庭は、家屋の中央に、すっぽりと抜けた空虚をつくり出します。そして、この空虚のまわりを、人間の生活の暖かさや賑やかさが、ぐるっと取り囲みます。水を含み、静かな音楽に満たされている小さな庭が、人間の暮らしの中心に、無を穿ちます。
京都の町は、いたるところにこのような小さな無を穿たれることによって、軽さを身につけることが出来たように思うのです。

この軽さは、夜の音楽に特有のものですね。
夜の音楽では、人間的な感情が大きく盛り上がったりはしないし、意思や欲望の強さによって、あたりが息詰まる感覚に充たされることもありません。そこでは、自然にフィットしてつくられた生命たちが奏でる、微妙な音楽があたりを包み込み、人間の世界の騒々しさを、気化してしまいますから。

もしも都市が、人間の意思や感情だけで造られているとしたら、京都のような狭い空間に開かれた都市は、すぐに息が詰まってしまっていたと思います。
ところが、ここでは、いたるところに庭があり、そこでは抽象的な砂だとか、植物の見えない内部空間から発生する微妙だとか、家屋の中空に穿たれた無だとかから、夜の自然の音楽が、生まれています。

そして、静けさと、反復の美と、なにかが月に向かって立ちのぼっていくような感覚に充たされた、この夜の音楽は、この世界がすべて人間のものなどではなく、ここは大いなる流れのただなかに浮かぶ浮世にすぎないという事実を、人に告げようとしているように、オレには思えてなりません。

この、どうしようもない諦念こそが、侘びや寂びの本質か、と、近ごろ思ったりします。
今日、ジェイムス・ホイッスラーの画集を見ていたのですが、ふと、そんなことを思いました。
彼の絵画もまた、夜の音楽の様相を呈しています。


Van Morrison / 『Enlightenment』

2006-12-08

庭を掻く(東福寺)



初めて石の庭に対面したのは、10代の終わりころのことでした。

夏の夕方で、今よりはずっと監視が緩やかだったから、オレは、ひとりで、長い廊下に座ったまま白い庭のモノクロームが暮れなずむのを眺めていたのでした。退出を促す若い僧侶がやがて現れ、オレが立ち上がるのを見届けると庭に降り、白い小石の表面を整えにかかりました。
それをゆっくりと拝見することはそのときのオレには許されなかったのだけれども、竹の道具で掻く、という文様のつくりかたを垣間見たことが、ひどく心に残ったのでした。

それからずいぶんと時間が経って、アフリカ・ザイールのクバのテキスタイルを見た折りに、はからずも、その石庭の印象がよみがえってきました。

クバ族はアフリカの優れた染色の仕事のなかでもとりわけ独創的な文様をつくり続けてきたことで知られ、画家のマチスがそのコレクションを愛蔵していたことが、写真家アンリ・カルチェ・ブレッソンのカメラ・アイに収められています。
クバ族のテキスタイルは、草ビロードと呼ばれるカットパイルの布と儀式用の礼装から成り立つのですが、いずれも驚くべき幾何学的なパターンを表現しています。とりわけ葬式の供えものであるカットパイルの四角い布に捉えられた図柄の抽象性は、彼らが、世界を幾何学的な記号の組み合わせとして解釈する、という研究家の言葉を如実に表していますね。

その研究家、メアリー・ハント・カレンバーグが、興味深いエピソードを披露しています。

かつて宣教師がクバの王へ贈りものとしてオートバイを持参したが、王はなんの関心も示さなかった。そこでオートバイを引き上げようと動かしたとき、王の眼が輝いた。タイヤの残した模様が、新しいパターンとして取り入れられることになった…。

この話は聞く者をさまざまに触発しますが、オレは小躍りして、ひとつの持論を出したのです。文様は、まず、動詞がつくってきた、と。
平面あるいは表面に、彫ル、刻ム、などの動詞がかかわって生まれる文様について、古代からの文化遺産の例を引くまでもありません。仏像のまとう布は、畳ムことによって生まれる襞の文様の神々しい例です。
そぎ落トス、削ルなどの意味を持つ、ハツルという動詞もあります。
1988年のヴェニス・ビエンナーレでフランスを代表したダニエル・ビュランは、自国のパビリオンでの建物の肌を見せることを作品としましたが、それはほぼ1世紀前に建築家が残した文様、すなわち石壁のハツった面と、動作を加えない面とが構成する、美しい縞模様の素肌を剥き出しにして見せることでした。

水紋、風紋は、自然が仕掛けた動詞のつくりだす文様と言えるのではないか?

では動詞でなく名詞で文様を見るなら、これまた花、鳥、草、樹、動物。自然界を模したものだけでも無限に存在しています。

そこでまたオレだけの定義になるのですが、名詞からは模様が生まれていきます。

バラの模様、つる草の模様、鯉の模様、ライオンの模様、のこぎり、かんなの模様、サムライの模様、子供の模様。すなわち、かたちと名のあるものたちの模様。

枯山水もまた、自然を模したものではあるのだけれども、そこにある文様の力は、ほとんど謎です。
小石の海の表面を掃くことで水の流れを現出し、小石を円錐形に積み上げることで山を表すと、初めに案出した人は宇宙の再構築を無意識のうちに行っています。日本の庭園で心が静まるのは、プリミティブ・アートを前にするのとおなじと言ったら突飛すぎるかも知れないけれども、根源的な力を捉えた文様、という共通項があります。

クバ族は自然の事物を単一の記号に省略し、抽象化します。
オレが見た一枚は、村落や田畑と思われるものが線による幾何学文様として地面をつくり、その随所に一段と厚みのあるモノリスのような長方形のパターンが浮き出たもので、それは、東福寺光明院の印象を思い起こさせるのでした。

四角いクバの布は死者の霊に捧げるものなので優れたデザインでなければ昇天出来ない、と、クバ族は図案を競い合います。成果をあげた文様は、未来的なイメージさえかき立ててくれます。

12月に入ったばかりのころ、急遽、仕事で早朝の東福寺に行くことになったのですが、その折、超がつく名庭の、文様を掻かせてもらいました。

寺院の庭の文様にも、鎮魂の思いは込められています。
無心にそれを掻く人になりたいと、その後、場所を重森三玲の作庭した昭和の名庭に移し、眺めながら、ずーっと思っていました。

いい体験をしました。

写真(左)オレが掻かせてもらった、東福寺方丈前庭です。
写真(右)重森三玲が作庭した昭和の名庭、東福寺方丈北庭、市松の庭です。

東福寺

2006-11-29

この冬、大原の奥を狙ってます


雪月花、という言葉がありますな。

万葉集の大伴家持の和歌に出てくるし、枕草子にも村上天皇の一節に挿話されていたように思います。

季節を代表する雅景の最初に、雪が置かれています。ゆき、という発音の清らかさも、その白い結晶にふさわしい。古人の美感覚が、美のもっとも高い存在を清浄としたことが、雪への尊敬になったのではないだろうか、と、思うのです。
美しさは、さまざまにあります。
あでやかな、はなやかな、うるわしい魅力から、あやしい妖艶、魔性の美まで。それこそ、かぎりなく。

そんななかで、浄といえば、雪です。

京都の冬は、どことも違う美しさがある。少なくとも、大阪の冬とはまるで違う。よく冷え込む盆地のせいでもあるだろうけれども、ふと、しんしん、しんしんとあたりの深く静まる気配に外に眼を向けると、雪が降っていることが、よくあります。

京盆地の気象は、ほんの少し場所が異なるだけで、雪の模様が違います。北限はほとんど北陸なみの豪雪となり、そのとき南限には雪が降らなかったり、雪みぞれだったりします。

ずいぶんとまえに、大原三千院の瑠璃光庭の雪を見にいったことがあります。裏の音無滝を聴きに、また大原の里を彷徨いに足を運んだのだけれど、折りからむっくりと積もった雪に、薬師如来の浄土を表現する宸殿前の庭の、雪保ちの杉の大木が、はっとするような美しさで根をおろしていました。

ここは、懺悔の懺法道場です。
余分な雑念は振り捨てて、自分の裡に渦巻く諸悪を自浄する積極的な懺悔、懺法。
そう出来れば、どんなにか清々しかろうと夢想します。自分の悪から離れることが出来たら、どんなにか、自由は輝くのだろうかと思うのだけれども…、
けれど、なかなか、そうはまいりませぬ。
せっかくの自由が、みっしりと諸悪に満たされて、自分ばかりか他の存在を苦しめているのが実態ですな。そして、やがては逝く。お迎えの阿弥陀三尊が柔らかく座っておいでの往生極楽院に、ひっそりとこちらも座って、雪灯りの阿弥陀を見つめていたのでした。

オレは、不自由さを抱えながら、ジタバタと格闘しているほうがいいわ、と(笑)

京は遠近を美しく、借景の知恵に活かされてます。とくに、北山、東山、西山を背景として造られた庭にとって、雪の降り積もった山の稜線は、雪の醍醐味とでも言いたいものです。
山はむかし、濃い自然の霊気を放つ神秘をたたえた聖地だったはずですが、ところがどうです。互いの視界を大切にしあってきた借景の約束は、現代の利益追求の景観変化で大きく破壊されてきました。見たくない風景が、京のあちこちに進んで、さて、どうなるのか…。

雪は、すっぽりと荒れた山をも町をも包み、雪の日に名庭を訪れた人々の心を和ませます。木立も、石も、土も雪に覆われて、池の水面が半ば凍っている。そんな寂光院のさびしさは、他では得られません。

大原よりさらに北に小高い、古知谷の阿弥陀寺へは、まだ行ったことがありません。
農民自身の発見した修行の弾誓上人を開基として、村人集って一寺を建立したという阿弥陀寺には、石窟が多く、行場としていたようです。行とは寒も通してのことだろうから、その厳しい様子が偲ばれます。

この冬、大原の阿弥陀寺に行ってみようと思っています。
さらにその先、これ以上はないとまで言われた、渡岸寺(向源寺)の十一面観音菩薩立像とのご対面を果たしたいと、考えています。
んで、さらに、相方さんがもうすぐお別れする職場、ルッカのおばちゃんに、月心寺の精進料理を食べにいこうと、誘われたのでした。


ちなみに、雪深い京都奥深いの景色を音楽にすると、こうなります。


ASA-chang & 巡礼 / 花

2006-11-19

毘沙門堂の、手前まで行く


その日は、相方さんと、たまゆらの逢瀬を楽しむ予定だったのですよ。
もちろん、京都神社仏閣巡り♪

そもそも、相変わらずオレは仕事が忙しくて相方さんのケアを放ったらかしにしていて、それはそれでいつもスマン!スマン!スマン!スマン!スマン!スマン!と思っているのですが、木曜日はなにがなんでも空けておくよーに!とのお達しが相方さんから出ましてですね、空けたんですよ、こないだの木曜。

そしたら、相方さん、午前中は仕事が入ったから、昼からどっか行こう!と。
へい、わかりました。

で、木曜の昼13時、待ち合わせ場所である、彼女が働くカフェへ。ちなみにこの日、相方さんはここでは働いておらず、ニット教室の講師の仕事をしていたのですよ。

そっからですわ、待てど暮らせど、相方さんはやって来ません。そして、メールだけがオレの携帯にやって来る。
「ごめん、あと1時間くらいはかかりそう」
「まだ仕事が終わりません!」
「まだ終わらんよ~」

この日、オレは、山科の毘沙門堂へ行く計画を立てていたのでした。
山科にある、桜の名所で名高いお寺さんです。

京都の市街地からは外れていて、ほとんど滋賀です。
でも、地下鉄が走っているから、京都市街地からでも30分足らずで行けちゃうんです。
でも、京都市街地じゃないから、絶対に空いているだろう、と。
この時期、京都のお寺さんは、どこもかしこも人でいっぱいですからね。
それに、です。
ここは山寺なので、桜の名所とはいえ、紅葉だってあるだろう、と。

というようなことをね、ビシッと計画していたのですよ。綿密な計画をビシッとね☆
それが、だ。
相方さんが丸い顔をさらに丸くしてやって来たのは、結局のところ、15時47分11秒36。。。。
そっからダッシュで行っても、到着は16時すぎ。
お寺さんはこの時期、16時30分閉門だし、無理言っても17時だし、到着するのが精一杯で、ノンビリどころの話ではありません。

大体、丸い顔をさらに丸くして、この日のスケジュールを空けておけ!と言ったのは、相方さんなのに!(笑)

それでもね、一応は向かったんです、毘沙門堂に。
上手くいけば、16時すぎに着いて、17時までいても1時間弱はありますから。

ほいで、地下鉄の市役所前駅までダッシュして、そっから地下鉄に乗って山科駅に到着したのが、16時すぎ。電車がすぐに来なくて、思ったより時間がかかってしまいました。
駅から歩いて15分くらいだって聞いていたので、これだと到着が16時30分くらいになっちゃいます。普通だと、閉門の時間です。。。
それでもまあ、行くだけ行ってみようということで、向かったわけです。

ただーし、駅から反対の方向に向かって歩いていたことに気づいたのは、16時45分くらいのこと。。
ったく、誰が間違えたんだ? オレか? 相方さんか?
オレは大阪の人間で、相方さんは京都生まれの京都育ちの土地勘もあるはずの生粋の根っからの丸顔の京都人。
なので、ここは間違いなく、相方さんのせいです☆
ただし、相方さんは、どの山を見ても、比叡山!とのたまう人でもありますが(笑)

もう諦めました。
どっちも昼飯すら食ってないし、ここらでブレイクタイムです。でも、晩ゴハンも迫ってるし、微妙な時間。結局、パンを買って食べましたけどね。
ほいでから、トボトボと駅へ。
でも、なーんかこのまま帰るのは悔しいんですよね。

そんなわけで、まだ日も暮れていないので、再度、毘沙門堂を目指すことに(笑)
ちなみに、17時はすでにまわってます。。。

駅からの道は、閑静な住宅街です。京都市街地ほど地価が高くないからだとも思うんですが、どこも家がデカい。
で、山の麓なので、樹々がいいかんじで繁ってるんですよね。住宅地といっても緑が多いせいで、無機質なかんじが全然しません。歩いていて、気持ちがいいくらいです。
途中、川がありましたが、よく見たら疏水でした。南禅寺で有名な疏水と繋がっている、琵琶湖からの疏水です。たぶん、春だと桜がキレイなんだと思います。
いや、ここはいいところですわ。

山門まで行ってみると、やっぱり閉門してましたが、山の麓から山門までが長めの階段になっていて、両サイドは紅葉です。まだ三分程度の色付きですが、かなりいいかんじです。しばらく、階段に座って、ボーッとしてましたよ。
山一帯にいくつか神社やお寺さんがあって、ぶらぶらと歩いてまわるにはかなりいい場所でした。

山門から中に入っていないので今書けることはほとんどないんですが、ここはどうやら門跡のようです。
といって、皇室の誰が出家したのか、まだ調べてないですけど。
創建が奈良時代で、毘沙門天がご本尊らしいのですが、毘沙門天って、仏さんの系列からすれば傍流(四天王の中心ではありますが)ですから、なぜご本尊に納まっているのか、ちょっと興味があります。
あと、狩野益信の障壁画があるのだとか。

京都市街地から離れているくせに(必然的に空いてる)、すぐに行けるというのが、かなり魅力的です。
近いうちに、リベンジします。次こそは、山門突破(笑)

そして夜は、京都市内に戻って、久しぶりのお気に入りのカフェで、ローストポークと海鮮サラダとオムレツを食べたのでした。

あ、新作、「テポドン」「オゾン層」を相方さんに披露。これは「マイナスイオン」の続編なのですが、なんのことかさっぱりわからない方は、相方さんに聞いてくださいませ。



速報! ガトリフの新作『トランシルヴァニア』、すでに完成してます。日本公開は、来年のいつかな?
かなりかなりかなり、期待してます☆


YouTube
これ、予告編です!

2006-11-10

何年かぶりに哲学の道を歩いたのだが…(銀閣寺、法然院、安楽寺)

なんか今月は、妙に忙しくて、日記を書くのもままならず…。
先々月から先月にかけて割り込んできたイレギュラーの大バカヤロウな仕事のせいで、今、しわ寄せが来てるんですわ。
しかも、息抜き&気分転換にはじめた相方さんのサイトのデザイン・リニューアルがおもしろくなってしまって、そっちにも深入り中…。いや、そんなことをやってる場合じゃないんですけどね。まあ、かくも人生は、ままなりませんな。

さて、そんな折り、こないだの日曜日にですな、銀閣寺から南禅寺にかけて、いくつかのお寺さんを参りながら、哲学の道を歩いてきたのですよ。
といっても、いつもように相方さんが同行しているわけではなくて、オレをとりまくご一行さまは、妙齢の、トウの過ぎたオバァばかりが20人強(笑)
いろいろとわけあって、とある婦人会のご旅行を引率するハメになってしまったのですよ。

ま、その顛末と詳細はここに書くには問題がありすぎるので省くとして、今回は、普通に京都の神社仏閣巡り日記を。

思い起こせば、京都の神社仏閣を巡るスタンプラリーは、たしか、南禅寺から哲学の道を北上して銀閣寺に至るルートを歩いたのが、最初だったのでした。
それが7年か8年か前のこと。
そんときに見た銀閣寺のあまりのしょぼさが目に焼きついているせいもあって、今さら銀閣寺なんてどーでもいいんです、本当は。


えーっとね、肝心要の観音殿(銀閣)がね、しょぼいんですよ。建設当時に銀が塗られていたのかどうかについて諸説あるとして、すくなくとも漆は塗られていたのははっきりしているんだから、それくらいは修復すればいいのに、と思います。まさか、敗者のモニュメントってわけでもないでしょうに。観光用の写真じゃ、そこそこ見栄えがするように撮影してますが、実物はね、ただのボロ屋ですからね(笑) あんなの、ほんとにどーでもいい。
ただ、ここには銀閣以外に見どころがいくつかありまして、今回、オレとしてはそっちをメインに見てました。
ここは、やっぱり庭ですね。庭に尽きると思います。
まず、銀沙灘。花崗岩が風化した白川砂を使って、湖面の波打つさざ波が表現されているのですが、はっきりいって日本美術史上に残る前代未聞のオブジェだと思いますよ。
禅の精神である極限までの抽象化でもなく、自然の模倣でもない。入口までの銀閣垣といい、とっても人工的な匂いのするオブジェなのですが、それにしても異様な迫力があります。
むかし、写真で、月明かりに照らされる銀沙灘を見たことがあるんですが、それはそれは幻想的な風景でして。だから、一度はナマでそいつを見たいと思ってるんですが、銀閣は夜間拝観をやってないんですよね。なんとかならんのかな…。



銀閣の庭は、この銀沙灘からはじまって、池と池を包むようにして背後にある小山を縫って歩くように設計されているのですが、このプロセスは、わび・さびそのもの。山茶花があり椿があり紅葉があり、南天がある。いかにも、という風情があります。京都と聞いて一般の人が思い浮かべるイメージは、ここに集約されているといってもいいかもしれません。

ただ、これはもうどうしようもないですが、人が多すぎですわ。
人が多すぎると、ところかまわずおしゃべりに夢中になる集団はどこにでも現れますから、もう、風情も鑑賞もへったくれもありません。それさえ解消されるのなら、年に1度くらいは訪れてもいいんですけどね。


で、次に行ったのが、銀閣寺から哲学の道を南下してしばらく歩いたところにある法然院




山寺になっていて、いいお寺さんなんです。ここの本堂から庭を眺める濡れ縁で、まだ無名だったころのつじあやのちゃんが、よくウクレレを弾いてました。そういう、ノンビリした雰囲気を堪能出来る、オアシス的な場所なんですよ。なんですが…。

さすが、哲学の道のすぐそばにあるだけのことはありますわ。それにくわえて日曜日。もうね、ここもやはり、わびもさびもへったくれもなにもないですよ。
雑踏とおしゃべりで、全部、台無し。やっぱ、お寺さんは日曜に来るもんじゃないですわ。
ところでここの住職さん、結構、メディアに出てますね。境内でライブやったり、そういうのがお好きみたいで。進歩派っていえばいいのかな。今回も、ある画家の油絵展が境内で行なわれてました。
えーっと、山門をくぐってすぐのところに、銀閣の銀沙灘をもじった白い盛り砂がありました(笑) ご丁寧に波模様まで真似たうえに、紅葉の絵まであしらう念の入れよう(笑) そこまでやると、進歩派でもなんでもなくて、単なる商売人ですわ(笑)

ま、法然さんはどう思っているのか知りませんが、時代を経ると、いろいろあります。
ちなみにここ、庭を観るだけなら、拝観料がいらないんですよね。山門をくぐるとすぐに拝観料を徴収するのが一般的ですが、ここは、本堂に入らないかぎり、無料。善意に解釈してもいいんですが、イベントやって儲けたり、檀家で儲けたりしてるんでしょうか?(笑)

最後に行ったのが、安楽寺



これも、法然院から哲学の道を少し下ったところにあるのですが、ここ、アタリでしたわ。
普段、一般公開してないお寺さんです。なので、あんまり知られてないんでしょうね。今回まわったお寺さんのなかで、唯一、閑散としてました。
山門に至るまでの道は、両脇を紅葉が彩っていて(…って、オレたちが行った時期は紅葉に早すぎるので、まだ青々としてましたが)、絶妙のわびとさびの雰囲気を醸し出してます。いや、まじでここはいいです。
そう思っていたら、けっこう、商業用にその写真が使われているのでした。どーりで見覚えがあると思った。
でも、普段は参拝付加のお寺。なので、この時期、一般公開されていても、あんまり人が来てないです。普通、こういう場合は特別公開となるので、人がわんさと来るもんですが、ここはなぜか閑散としてます。あんまり宣伝してないんでしょう。
あ、でも、夏の風物詩でもある、中風マジナイの鹿ヶ谷カボチャ(瓢箪型のカボチャですね)の炊き出しは、このお寺さんで行なわれてますから、知ってる人は知ってるんでしょうね。

松虫姫と鈴虫姫の出家物語など、いろいろと興味深い縁起を持っているお寺さんではあるのですが、それについてはサイトを参照していただくとして、ここは庭がいいですね。
本堂の奥から見る、障子戸に切り取られた庭は、もう、一幅の絵です。椿が全面に配されている枯山水の庭なのですが、今の時期でもじゅうぶんに楽しめます。千両や山茶花が咲き乱れていて、何時間でも眺めていられます。

ま、それでも悲しき引率者の身。オバァの面倒見てばっかりで、そんなゆとりはこれっぽっちもありませんでしたが。ここは次回、もっかいゆっくりと攻めます。問題は、次の公開を見逃さんことですわ。


それにしても…、
哲学の道は、もう、どうしようもないですな。人が多すぎ。その人を当て込んだ出店も多すぎ。
疏水沿いを歩きながら思索を巡らせた西田幾多郎は、もはや、ここにはいません。

2006-10-23

時代祭のお誘いで狂喜乱舞


日曜日当日。
momoさん、寧楊さんと落ち合って、いざ、京都へ。
寧楊さんって、スラッとしていて背が高くて、ショートヘアがかっこよくて、スタイリッシュで、眼鏡が知性的で、言いたいことはキチッと言うけれども常識人で、なによりも体温低めのクールで、でも、芯は熱そうで(間違いなく)、聡明で、酒飲みで、おちゃらけばっかりやってるオレとは大違いなんですが、タバコ吸いでもあります。なんか、完璧なんですけど…。
上手く言えないけれども、自ら選ばれた荒野の道を独立独歩で歩きながらも、真っ当な感覚を失わない偉大な常識人ってかんじなんです。かなり、好きです☆ オレもかなり好きですが、相方さんのatricotさんも、かなり好きなタイプのはずです。

えーっと、こんなペースで書いていたら時代祭に辿り着かないので、はしょります(笑)
今日は時代祭に絞って書くはずだったんだけれどもな。。。

公式サイトもあるんですが、京都新聞の紹介ページのほうが出来がいいので、そっちのリンクを貼っときます(笑)


1200年の歴史を誇る京都を舞台に、あらゆる時代の有名どころが、当時の衣装のままで順繰りとパレードする、一大時代絵巻なのですよ。衣装や小道具が見どころなんですが、んなもん、人垣を掻き分けて遠目に見ても楽しくないじゃないですか。それが前列3列目の特等席で見れるんですから、こんな幸運はなかなかないですわ。
明治維新の幕末志士列を先頭に時代を遡っていくかたちで、最後が平安遷都のころです(延暦時代なんていうマニアックな呼称になってましたが)。
最初は、桂小五郎だの西郷吉之助(隆盛)だの坂本龍馬、中岡慎太郎、高杉晋作だの、幕末の志士たちが登場するわけですよ。つかみはオッケーですね。
ただな、皆さん、それなりの格好はしてるんですが、坂本龍馬はブーツを履いていないし、桂小五郎は似てないし、期待値が高かっただけに、ちょい不満も。それとね、ただただ、行進してるだけなんですよ。西郷さんくらいかな、ちゃんと小太りのそれらしい人が演じていて、しかも手を振って観客に応えてくれたり、パフォーマンスをしっかりやってくれていたのは。

横で、momoさんが、橋本左内はもっと男前だったとか、誰それは雰囲気が違うとか、ほとんどアイドルが主演する映画の出来映えを語るかのようにブツブツと文句を言ってはるんですが、それがまた妙にマニアックでおもろいです。
なんかね、大河ドラマのキャスティングにイチャモンをつけてるかんじなんですよ(笑) 『巧妙が辻』で山内一豊を上川隆也が演じていることにイチャモンつけてるかんじ(笑) いや、大河ドラマのキャスティングにご不満がおありなのかどうかは知りませんが。。

んでから時代は遡り、江戸時代の参勤交代や江戸時代を代表する婦女子さん、孝明天皇の妹君の和宮さん、歌人の蓮月さん、社交界の華だった中村内蔵助の奥さんなどが静々と行進していきます。

あのね、音楽もなく、ただただ行進しているだけだから、もんのすごく静かなんです。こんなに静かな祭は聞いたことがないってくらいに静か。んでもって、行進する以外にパフォーマンスもありませんから、本当に、祭というよりも絵を見ているかんじですわ。うん、美術館で絵を鑑賞している感覚に近いですな。

そんななかでも、なんやかんやと面白いシーンを見つけてしまうのが関西人というか大阪人の悲しさというか…。
上下をビシッと着こなした侍集団が歩いているなか、何人かがお茶のペットボトルを片手に持って行進しているところをチェックしたり、お馬さんが道のど真ん中で粗相をしてしまったシーンを目撃してしまったり、んで、後列がそれをしっかり避けて歩いているところとか。
紫式部と清少納言は仲が悪かったはずなのに、なんでおなじ台に座ってるのとか、お付きのお稚児さんが待ちくたびれたのかすっかりお眠になっていて抱っこされての行進になっていたとか、まあ、目ざとく口うるさく、我が大阪チームはチェックを入れていたわけです(笑)

でも、全体を見渡してみると、やはりよかったですな。時代を遡るごとに衣装の変遷が見てとれるし(生成りの布にやがて染めが入り、染めも高度になり、柄が入り、刺繍が入り、あいだに朝鮮の影響を受けた衣装が入り…)、ちゃんとした眼差しで見れば、いろいろと興味深い発見もいくつかありました。

そして最後に平安初期の行進が終わってから、殿に登場したのが、ホンモノなんですよ。白川女の姿を今も保存して次代に残していこうとしている人たちの団体の行進とか。歩く姿勢がね、全然違うんです。背筋がしゃんと伸びて、それだけでかっこいい。現代に比べて、むかしの人は歩く姿がかっこよかったのだな、と、一発でわかります。
そうしたホンモノの最後を飾ったのが、丹波国に今も保存会の方々が残している、弓箭隊。弓の達人が、殿を務めてました。
あ、momoさん、さっき辞書で調べましたが、弓箭の箭は、矢のことでした。つまり、弓箭=弓矢。

このあと、atricotさんの働くカフェへ行き、去年、小野小町役で時代祭に参加した先斗町一の芸妓さんにしてatricotさんの親友の突然の乱入もあり、みんなでわいわい騒いだのでした。

2006-10-20

広隆寺へ弥勒菩薩半跏思惟像を見にいく


ここ数週間、鬼のように忙しかったせいもあって、相方さんのことはほったらかし。おかげで忙しいさなかにゴネられるわで、エラいこと大変でした(笑)

そんなわけで、ってこともないですが、昨日は久しぶりに行ってきましたですよ、恒例の、京都神社仏閣スタンプラリー。

今回は、広隆寺。

いや~、大物から攻めているわけでもなく、かといって地域別に攻めているわけでもなく、適当に、気分次第でふらりと立ち寄ったりしているのですが、今回は大物中の大物です。

今日とのお寺さんは庭を楽しみに攻めることが多いんですが、今回の狙いは、仏像! はい、仏像フェチですから☆

ご存知の方も多いと思いますが、このお寺に安置されている弥勒菩薩半跏思惟像は、戦後の国宝第1号に指定されたほどの一品です。

見てきましたですよ。
これほどワクワクする仏像は、奈良・秋篠寺の技芸天立像以来! …マニアックな話になっていきそうで、すんません(笑)

京都市内と嵐山を結ぶチンチン電車、京福電鉄太秦駅で下車すると、目のまえが広隆寺の山門。
そう、太秦に、このお寺さんはあります。
太秦とはこれまた難解な地名の代表格みたいなもんですが、うずまさ、と読みます。府下まで範囲を広げると、間人というのもありますな。こちらは、たいざ、と読みますが。
まだ京都がただのいち地方どころか荒れ地だった飛鳥時代にいち早く建てられてお寺さんで、建てたのは豪族秦氏の秦河勝。聖徳太子から賜った弥勒菩薩をご本尊として建立したのがこのお寺で、四天王寺、法隆寺などと並んで、聖徳太子建立の日本7大寺に数えられてます。あ、秦氏は朝鮮からの渡来人で、技術者の一族ですね。土木、養蚕などのノウハウを日本にやって来てひろめてくれました。
そういう人が住みついた場所の地名が太秦ですから、これは、何語読み? ひとつの漢字にいろんな読みかたがあるのは、おなじ文字を使う民族がたくさんいて、しかもそれぞれに発音が違い、ときどきの時代に応じて日本と交流のあった民族が流入してきてはそれぞれの発音で喋っただろうから…。んで、秦氏といえば、百済出身? それとも、任那? 新羅? たぶん、新羅出身だと思うんですが、そもそも、百済、任那、新羅で漢字の発音は違ったんだろうか? 知らんことが多いですな、まだまだ。

…などと、解説めいた話は、オレが書いたところでどーにもならんです。Wilipediaでもご参照あれ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E9%9A%86%E5%AF%BA

さて、今となっては街中に忽然と姿を現す広隆寺南大門をくぐってなかに入ってみるとですな、意外と広いです。いや、ここよりも広い敷地を誇るお寺さんは京都になんぼでもあるんですが、周囲のチマチマした街並のなかに忽然とあるもんだから、意外な広さを感じてしまいます。

それと、本堂や講堂のたたずまいが、端正です。
キリッとしてますね。端麗辛口、ってかんじ。
宗派、真言宗御室派となってますが、どことなく禅宗めいた雰囲気もあるし、そのあたりの来歴、ちょっと調べたくもなります。

で、件の弥勒菩薩半跏思惟像ですが、本堂に安置されているわけではないんですよね。行ってみて初めて知ったんですが、ちょっと愕然としました。やはり、宝物館に安置されてました。
宝物館だと、安全上の配慮や、最適な保存環境が守られているのだとは思うんですが、やっぱ、所詮はお寺のコレクション・ルームなんですよね。だから、扱いが美術品なんです。なんだか、霊験あらたかな感じがしない。
第一、煌煌とライトに照らされていますから、陰翳というものがまったくない。仏像なんて、陰翳があってこそですよ。これなら、陰翳を効果的につけてある土門拳の写真集を見ていたほうが、よほど本質的なものがつかめるような気もします。

とはいえ、天下の弥勒菩薩半跏思惟像。やはり、ただものではありませんでした。
謎に満ちたアルカイック・スマイルなんですが、相当に知的な印象を受けます。いや、それ以前に溜め息が出るほど美しいですね。中性的なんですが、妙にエロティック。
非常に下衆な表現をするとですな、こういう男娼がいたら、相当な売れっ子になっていたであろうな、と。

なんだか、仏像というかんじがしません。一般的に思い浮かべる仏像とは、まるで違いますね。弥勒さんのご尊顔も、身体つきも、筋肉のつきかたも、なにからなにまで、数多ある仏像とはまるで違う印象なんです。
仏像ももちろん人間であるお釈迦さんがモデルになっているわけですが、それ以上に、人間のかたちにより近い造形だと思いました。ただし、人間臭い、俗臭さがあるという意味ではないんです。それこそ、なにか非常な高みに到達した人間だけが持つ美しさのようなものが表現されているように感じるんですが、それゆえに、神的な美しさでもあるのですが、それでも、その神は、人間と切り離されたものではなく、人間の延長線上にあるかのような、そういう解釈のもとに成り立っているような印象を強く受けました。

弥勒とは慈悲から生まれた仏ですが、この仏さんと接していると、なにか救われる気分になりますね。
何時間でも見ていられる仏さんです。

ところで、広隆寺というお寺さんは、仏像の保存状態がよろしくて、この弥勒菩薩半跏思惟像以外にも、国宝、重文級の仏像がゴロゴロしています。それらが一同に宝物館に収められているもんだから、なかなかの迫力ですよ。
仏像フェチである柴門ふみが命名した石田壱成似泣き仏のもう一体の弥勒菩薩半跏思惟像。十二神将十二躯なんて、ウルトラ兄弟勢揃い並みのど迫力ですよ。連隊モノに弱い方にはたまらんコレクションですわ。
十一面千手観音なんて、十数本しか腕が残ってないんですが、その腕すらことごとくが途中でボキボキに折られていて、満身創痍でした。満身創痍ですが、それがかえってど迫力で凄みを感じさせます。
他、ブサイクからベッピンさんまで4体ほど並んでいた吉祥天像、大日如来さんに薬師如来さん、もうね、惜しみなく展示してあります。うん、安置じゃなくて展示だな、あれは。

あと、聖徳太子像が何体かあるんですが、これが幼少の頃のお姿で、我々が旧1万円札で知るお姿とはかなり違うわけです。
どう違うのかというと、かなり怖い(笑)
相当に頭がよさげな小学6年生といった印象なんですが、頭がよすぎて、並みの大人じゃ太刀打ち出来ないなというのが一発でわかるような、そういうお姿です。実際、そうだったとは思うんですけれどもね。でも、山岸涼子が『日出ずる処の天使』でかつて描いた厩戸皇子とはかなり違うお姿で、小太りなんです。これには笑ったな。顔の丸さは、ウチの相方さんに匹敵しますな(笑) 本人、大受けでした(笑)

2006-09-13

京都情報バブル


ここ数年、京都は沖縄と並んでブームになってますね。
京都本の出版物が増え、あちこちの雑誌で京都特集が組まれます。京都情報バブルですな。

そのおかげで、オレみたいなところにも、その手の誌面作成の仕事が来ることがあります。

京都の観光客数は1999年からずっと上昇し続けていて、昨年度は4727万人だったそうです。まあ、そのなかには、オレみたいに、隣県の大阪から足繁く通ってる人も含まれてるんでしょうが。
この上昇傾向は、5年前のNY同時多発テロが影響していると言われています。この年、海外渡航者数は激減し、雑誌は海外旅行情報を自粛しましたな。
でも、雑誌に、旅行情報は欠かせないじゃないですか。
そこで、脚光を浴びたのが、京都。
京都というところは、海外に代わる、国内の外国って位置付けですね。

東京発の全国雑誌が京都特集を組むとして、取材情報は、多くの場合、京都在住のライターが集め、それを東京の編集担当者が取捨選択します。
この段階で、東京の担当者の視点と京都地元民の感覚とのあいだに、ギャップが生じます。
なんでって、東京の担当者が望むのは、東京から見た、京都の外国度の高さだから。

たとえば、
誌面で紹介する店を選ぶ際、古い店構えや暖簾などの写真映えや、老舗であるかどうかといった記号性が、サービスや味よりも重視されるからです。内容がよくても、エキゾチズムをくすぐる要素がないと、取材リストには残らないということです。
たとえば、相方がバイトしているcaffe Luccaというカフェは、どの街に持っていっても恥ずかしくないレベルの高いカフェだと思うけれども、でも、京都と聞いて思い浮かべるイメージからはかけ離れているので、取材対象からは除外されるわけです。たとえば、caffe Luccaが東京の荻窪あたりにあって、どこかの雑誌が荻窪特集でもやれば、載るんでしょうな。

だから、大量に出まわっている京都情報の中身は、海外リゾート地ガイドのそれとおなじで、いかにもそれらしいお店が並んでます。いくらかマニアックになったところで、その枠組み自体は変わらない。

まあ、ガイドだから当然なのだけれども、外国的要素だけで構成された誌面は、やっぱ、ヴァーチャルな世界ですね。地元民やオレみたいな半地元民からすると、違和感ありまくりです。京都にかぎらず、観光地に住む人は皆感じていることだろうけれども。

世襲制が長く続く暖簾、着物姿、むかしからの町屋、伝統工芸、季節感とともにある和菓子や京料理…、これらはすべて、なんでもあるはずの東京にはないものばかりです。
自分にないものをありがたがり、逆に、それ以外のものには価値観を見出さないメディアの態度は、意地悪な言いかたをするなら、アジアや辺境地に自ら反対の価値を押しつけ、ノスタルジーに浸る類いの旅行者の植民地的なセンスに通じています。

とはいえ、京都にやってくる旅行者の、京都で癒されたい、日本を感じたいという欲求は、切実に聞こえます。
mixiにも京都旅行をテーマにしたコミュニティはたくさんあるのだけれども、どれもビックリするくらい充実しているし、そこに顔を出す人たちのなかには、何度も新幹線に乗って京都に通い詰めるマニアックな京都ファンがたくさんいます。

たぶんね、ヴァーチャルな京都のイメージとその魅惑は、欠乏感の裏返しなんだと思うのですよ。
だから、こうした京都ファンのあいだで共有される京都のイメージは、修正されるどころか、ますます硬直化しているように感じます。


というようなことを考えるようになったのは、
mixiで、旅日記を連載している人がたくさんいるとわかってからですわ。
現在進行形の日記じゃなくて、いつかの長旅を、時系列で毎日アップしていくようなスタイル。
で、
そのほとんどが、雑誌やなにかで調べたものを実際に観にいって感動してるのやら、牧歌的な風景や人の人情に触れて癒された感動したって話ばっかりで。
感情がそうなのか、感情の発露の仕方がそうなのか知らないけれども、はっきりいって、紋切り型なのですよ。
大草原の雄大さに惹かれてモンゴルに行く人はたくさんいるんだろうけれども、なんかね、それを再確認して、感動した、って、それだけ。
オレなんて、大使館員の機嫌損ねてビザを発給してもらえなかったから、モスクワ行きのシベリア鉄道に乗って、モンゴル国内で電車から飛び降りて、しばらく密入国状態で遊んでたら、地元警察に見つかって、国外強制退去させられましたよ。だから、オレ、モンゴルは嫌いなんです。

そういう人、オレ以外にもいてると思いますよ。
でも、モンゴルに行ってモンゴルを嫌いになった人を、オレは見たことがありません。

石庭で有名な竜安寺は、今、工事中です。石塀があってこその石庭なのに、今、その石塀には醜いブルーシートが被せられています。でも、拝観はしてるし、拝観料も通常通り。
そのことをきちっとフォローしている記事は、いわゆる京都特集もののなかには、ないですね。

ブルーシートは、京都エキゾチズムには似合わないですからね(笑)
ブルーシートは見えないことにして、せっかくの貴重な石庭だけを見て感動しろ、と?(笑)

ちなみにオレは、竜安寺の石庭にブルーシートがあろうとなかろうと、あんまり好きじゃありません。

2006-08-27

法金剛院の蓮


こないだの火曜日、久しぶりに京都神社仏閣巡りを敢行したのでした。

つい2週間前にも行ったのだけれども、あんときは、京都タワー(笑)
神社仏閣ではありません。なので、今回はちゃんと…。

車がなかったので、候補地を絞り込むのにかなり苦労したんですが、花園まで電車で行って、法金剛院、広隆寺、蚕の社と徒歩圏内でまわれるところを攻めよう、と。かなり見どころのあるお寺さんばっかりです。

最初に向かったのが、法金剛院

例によって、相方のatricotさんが一緒です。
んで、やってくれましたよ…。21世紀最強の雨女の本領発揮。
だってね、数分前までかんかん照りに晴れてたのに、いきなり雨ですよ☆
何日も雨なんて降ってないのに、こんときだけ、ピンポイントで雨ですよ!
ほんと、最強☆(笑)

でも、まあ、21世紀最強の晴れ男のオレがついているせいもあって、お寺さんに着くころには雨も上がったんですが、今度はまたまたかんかん照りで、しかも雨上がりのかんかん照りだから、すごい湿気です。もう、サウナに入ってるみたいな…。一歩も歩きたくないどころか、立ち止まっていても汗が吹き出るような湿気。。。

なんか、前途多難です…。
しかし、艱難辛苦を乗り越えてですな、行った甲斐がありました。
表門までの生垣がビシッとしていて威厳があり、のっけから期待が持てます。
オレ、事前に調べてという努力をまったくしない人で、せいぜいが所在地と開門時間を調べるくらいなんですが、表門に辿り着くと、「関西花の寺第十三番」と書かれてあります。ということは、庭に咲き誇る花がキレイということですね。ラッキー☆

表門をくぐるとですね、いいかんじですよ。
禅寺だということが一発でわかる、よく手入れされた苔庭がひろがっています。その合間を縫うように、敷石。
あとで調べてみたら、やはり、律宗のお寺さんでした。紆余曲折を経て、鎌倉後期に唐招提寺から円覚さんがやって来て、復興したらしいです。
気になるのは、法金剛院という、一風変わった名前ですが…。

そこを抜けて、なかに入っていくとですな、ちょっと感動的な風景でしたよ。
池がある池泉廻遊式の庭で、禅寺には珍しいパターンですが、そんなことよりもなによりも目を奪われたのは、見わたすかぎりの蓮!
あの、巨大な葉っぱをしたがえた蓮が、鉢に入っているものから池に自生しているものまで、ものすごい数です!
そっかあ、蓮かぁ。
この、蓮のせいで、このお寺さんは、法金剛院と呼ぶんですね。
仏法における金剛というのは、極楽浄土のことですから。で、極楽浄土を代表する風景といえば、蓮ですから。

清楚で品があって、蓮の花というのは、ドキドキするくらいに美しいですね。
惜しむらくは、すでにピークを過ぎていて、大半の蓮の花が散ってしまっていて、蜂の巣みたいな実だけになっていたことですが、それでも壮観でした。

このお庭のおかげで、ご本尊さんのことなどすっかり忘れてしまいましたが、調べてみたら、阿弥陀如来さん。いや、見たんですけどね。たしかに、拝んだんですけれどもね(笑)

ま、仏像はともかく、ここはやっぱり、庭です、庭。
ほどよい大きさで、蓮だけじゃなくて紫陽花もあるし、紅葉もあるし、花菖蒲もあるし、ここは季節毎に堪能出来そうです。

惜しむらくは、庭を見わたせる縁側付きの経堂がないことですな。
昼寝が出来ません。。。。

今回は、このあと広隆寺や蚕の社にも行く予定でしたが、これにて打ち止め。
なにしろ外はサウナ風呂。。すでに法金剛院でお腹がいっぱいになったこともあり、特に広隆寺などは戦後最初の国宝指定を受けた弥勒菩薩半跏思惟像が祀られているところなので、気合いを入れていかねばなりません。
なので、そっちは次回。

このあと、JR京都駅に、チェコのアニメ展を観にいきました。
そっちはそっちで面白かったのですが、ま、そっちはatricotさんが日記に書くだろうから、彼女におまかせです。。

2006-08-12

京都タワーにのぼる


京都タワー。。。

JR京都駅の真ん前にあるし、新幹線からも見えるので、ご存知の方も多いでしょう。蝋燭みたいなかたちをした、変なタワーですわ。

外から眺めてるだけでもしょぼそうだし、こんなところ、まったく登りたいとは思わんのですけどね、でも、ほら、オレがライフワークにしてる京都神社仏閣名所スタンプラリーのベースになってる地図、京都観光協会発行の1部100円の地図にね、こいつが載ってるんですよ。だからね、行かないわけにはいかないじゃないですか。。。。

ただ、京都駅の真ん前だし、いつでも行けるといえばいつでも行けるわけで、そんなこんなでタカをくくってまして、今日まで行ってなかったわけです。

んで、こないだ、京都に仕事で行った際に、妙な空き時間がぽっかり出来たので、ここしかない!と思いたって、行ってきましたよ。はい、あんまり乗り気じゃないatricotさんを連れて(笑) 大体、京都人ですら、ここは行ってない人が多いんじゃないかな。

京都タワー…、食堂やらホテルやら地下には大浴場やら土産物屋さんやら、なんかタワーにありそうな要素をすべてぶちこんだ、割合節操のないタワーで(笑)

でも、展望台に登るのに、生意気に770円もとるんですよ。
サイトを見たら、割引クーポンがあったので、それを持っていって660円になりましたが。。なんにしても、割高感は否めません(笑)

それにしても、しょぼい。。。
展望レストランとか、ガラガラだし…。
展望台っていってもね、そりゃ京都市内が一望出来ますよ。でもね、真向かいにある京都駅ビルの屋上だって京都市内が一望出来るし、しかもそっちはタダですからね。ほんとに、京都タワーなんて、なぜ存在しているのか、さっぱり理解出来ません。

でも、こういうところはですね、みうらじゅんじゃないけれども、突っ込みどころ満載なわけでして…。

まず、たわわちゃん☆ 展望台に昇るエレベータにはエレベータガールがわざわざいるんですが(まったく必要ない)、アロハ調の制服に、妙に怪しげなキャラクターがプリントされてあります。そいつはなんだ? と訊いてみると、「たわわちゃんです!」と、元気なご回答が(笑)
土産物売り場で、たわわちゃんグッズがいっぱい売ってました。このアロハ、ちょっと欲しくなってたんですが、そんな自分のセンスを諌めて、べつの場所に目をやると、なぜか、くるりのコーナーがあり、くるりの『東京』が流れてます。 いや、たしかにくるりは京都出身のバンドですよ。でも、なぜに『東京』?

あと、足が短く胴体が長く見える鏡とか、惚れ薬とか、怪しげな品がいっぱい☆(笑) もうね、アホらしいものの全員集合ですよ。京都にまったく似つかわしくない、ワンダーランド☆

一番笑ったのが、写真のやつです。
『京都タワー体操』!
タワー/たいそう/ぐぃんぐぃん/タワー/たいそう/ぐぃんぐぃん/ごしょに/やさかに/あらしやま/きぶんは/じょうじょう/にじょうじょう/タワーにのぼれば/まるみえだ/ぐるりとまわれば/京都をいっしゅう/ウッキワックウッキワック/ウッキワックウッキワック…

なぜに体操? しかも、この歌詞! 曲もあるそうです(笑)
ぜひ、CDが欲しくて仕方がないのですが、京都のレコード屋JEUGIAに行けば、手に入るのでしょうか?

2006-07-05

養源院にて宗達筆の白象杉戸絵に出会う嬉しい不意打ち





三十三間堂の周辺の神社仏閣、こないだは5つつぶす予定だったのがタイムオーバーで3つしかつぶせなかったので、火曜日に残りの2つを。

ひとつめは、養源院です。
三十三間堂の東向かいにあるんだけれども、三十三間堂が有名すぎて、ほとんど無視されてるお寺さんですな(笑)
まあ、でも、どんなに立派なお寺さんでも、人がわんさと訪れて、オバハンにワイワイガヤガヤやられた日には、興醒めってもんです。
それやったら、しょぼくてもいいから、静かなほうがいい。
そう思って訪れたところって、意外といいんですよね。こじんまりとはしてるけれども、いろんなもんがてんこ盛り、しかも、ゆっくりホッコリ出来る。。

養源院というのは、そういうお寺さんでした。
でもね、行って初めて気がついたんですが、このお寺さん、かなり有名な宝物をお持ちでした。
そういうことを、全然調べずに行ってるで、嬉しい不意打ちに遭います☆
ここにね、俵屋宗達筆の白象図杉戸絵がありました! 唐獅子、麒麟もあるんですが、白象が出色の出来!

日本画とは思えないほどの大胆な構図とタッチで、ちょっと圧倒されました。
思わず見入ってしまいました。
ぶっとさ、とでも言えばいいのかな。たっぷりとしていて、おおらかで、力強い。それでいて、画面にはギリギリの緊張感があります。
これ、マジで、溜め息が出ますよ。すげぇ~って。
日本の、しかも、京都のようなちまちまとした風土で育って、なにを食べたらこんな線を描けるのか!
ここは縁側から眺められるお庭がないんですが、この杉戸絵を見るだけでも拝観料500円の元は取れます。松図の襖絵も、光琳とはまた違ったタッチの大胆さが楽しめます。

縁起を抜粋しておくと…、
文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室・淀君が 、父・浅井長政の追善のために建てたお寺です。後に焼失してしまいましたが、淀君の妹で徳川秀忠夫人の崇源院が伏見城の中御殿を移構して再建。以来、徳川家の菩提所となっています。

だから、徳川3代の遺骨が厨子のなかには納められているそうです。

あとの見どころは、鶯張りの廊下と血天井。
天下の大泥棒・石川五右衛門は、ここの廊下が鶯張りだったおかげで見つかって、お縄頂戴、油釜に入れられて処刑されたんだとか。

血天井も、なかなかのもんでしたよ。
伏見落城の際に自害した鳥居元忠らの血で染められた廊下の板が、ここの天井にそのまま移植されてます。手形や人の姿などが、そのまま血痕となって残されています。

んで、おもしろいのは、これらすべて、お寺のオバァがついてまわって説明してくれるんですが、全部、カセットテープなんですよ。オバァがテレコを持って、杉戸絵なら杉戸絵の場所に案内し、そこでテレコの再生ボタンをガシャ。解説が終わればテープを止めて、また次の場所に案内してくれたら、またまたそこでテレコの再生ボタンをカシャ。
でも、血天井だけは、オバァも長い竹の棒で天井を指し、ここが手形の血の跡で、ここに人のかたちをした血の跡があるからここで切腹して…、と、説明してくれるんで、ここはテープというわけにはいかないみたいです。だから、オバァ自身が説明してくれるんですが、これがもう、テープの解説を聞いてるみたいによどみなくて(笑) しまいには、どれがテープでどれがナマの解説なのかわからなくなってくるくらいでした(笑)

そんなわけで、養源院、縁側から眺められる庭こそないけれども、けっこういいかんじですよ。てんこ盛りです。

もうひとつ行った先は、妙法院。
こっちはお寺さんの境内には入れるんですが、建物の中には一切入れてくれないという、不思議なお寺さんでした。普通、入れないところは境内にも入れないんですけどね。
なので、境内をぐるっと散策して退散。
なんの印象もなかったです(笑)

2006-06-30

新日吉神宮、智積院、豊国廟

えー、恒例の京都神社仏閣巡り、月末にもかかわらず、敢行してきました。
押し迫った29日、なぜか昼間に6時間ほど、ぽっかりと時間が空いたんですよね。というか、ワールドカップ観たさに、仕事をセーブした結果が、これ。。
こんなんでいいんやろうか(笑)

タイトルの数字は、今回、初めて数えてみました。
オレのは7年前に買った、京都市観光協会が定価100円で発行している、神社仏閣・美術館博物館等々のスポットが載っている地図。こいつをスタンプラリーしてるわけどす。
んで、数えたことなかったんですが、どんだけあって、どんだけ行ってるのかがちょっと知りたくなって、今回、数えてみました。
そしたら、行かなあかんスポットは合計492ヶ所。昨日までの時点で、オレンジでマーキングされた踏破したスポットは、229ヶ所…。忙しい合間を縫っての年平均30ヶ所強の計算になるから、なかなかのペースやと思うんですが、それでもまだ半分も行ってへんのかいな! …ちょっと、茫然としました(笑) 今のペースを維持しても、あと9年かかるやん! …先は長いです。。

んで、今回は、東山七条を攻めました。有名な三十三間堂があるところですが、この周辺、いくつか神社仏閣さんがあって、それも大駒中駒と役者は揃ってるんですが、なんせオレの地図には、三十三間堂だけがポツンとオレンジに塗られている状態で、ちょっと気持ち悪かったので、この一帯をすべて塗りつぶすためにも、今回はここです(笑)

それとですな、ここにはマイミクさんのプレジンさんの宗派でもありお勧めのお寺さんでもある智積院があります。せっかくなので、今回はそこをメインに。

行ったのは、この3つです。本当は5ヶ所まわる予定やったんですが、それぞれが結構なてんこ盛りでして、今回は3つで打ち止め。

新日吉神宮(しんひよしじんぐう、じゃなくて、いまひえじんぐう、と読みます)

智積院

豊国廟


まず、新日吉神宮から。
まず、読みかたがややこしいです。新日吉というからには日吉神宮があるはずですが、そっちは、比叡山の延暦寺の近所に。そこの神社の神様を迎えて祀られたんで、新日吉。んで、日吉は、読みかたを変えると「ひえ」と読めるんですが、これがまた比叡山と音がおなじなので、そのままこの読みかたが採用されたんじゃないですかね。新は、「いま」の意味を含みますから、そのふたつをくっつけて、「いまひえ」。などと、オレはボーッと思っとります。
入口の鳥居門から、お稲荷さん、お猿さん、狛犬と、使いの神さんが賑やかに3種もいはります。猿は鬼門に祀られる神さんの使いですが、この神社は御所の鬼門にあたる比叡山の方角にはありません。ありませんがが、比叡山の神さんを祀ってるんで、その縁でお猿さんがいてはるんでしょうかね?
ま、そんな蘊蓄は、後日調べるとして…(笑)
神社をぐるりと取り囲むようにしてある京都女子大、高の婦女子さんたちを横目でチラリ、その度毎に相方さんに蹴りを入れられして、境内のなかに入っていくとですな、そこそこの大きさのある気持ちのいい神社ですよ。ただし、境内のど真ん中に見慣れんもんが。
菖蒲のような草を直径15センチほどの太さに束ねて、それを継ぎ足して、注連縄風にひとつの大きな輪っかにしたものが、境内のど真ん中に、デンと建てられてるんですわ。輪っかの直径約2メートルってところですよ。
なんのオブジェ?と思いながらそろそろ近づいていったんですが、もちろん近づいたところでわかるわけがありません。輪っかなんでくぐってみたいのはやまやまなんですが、はたしてくぐってもいいものやら…。
そしたら、近くに神社の関係者らしきオッサンを発見。これは訊くしかないですね。
あの巨大な注連縄みたいなのは、なんですか?
あれは、注連縄じゃなくて、茅の輪くぐりですよ。
くぐるんですか〜?
そうですよ、くぐるんです。年末の大晦日の真反対の6月30日に、茅の輪をくぐって、厄落としするんです。日本最古の宗教儀礼で、正確に6月30日じゃなくてもいいんですけど、今時分、全国どこの神社でもやってますよ。8の字を描くようにして、3度まわってくださいね。
そうなんですか〜。知らなかったです〜。んで、茅の輪ってなにで出来てるんですか〜? 菖蒲〜?
菖蒲じゃないです。茅(かや)です。
茅葺きの茅ですか〜?
そうです。
茅葺きの茅の枯れた茶色のしか知らなかったです。あたりまえだけど、本当はこんなに青いんですね〜。
あたりまえです。茅ヶ崎って地名があるでしょ。「ちがや」っていう植物です。
わかりました〜。ありがとうございます〜。
そんなかんじで思わず詳しいことを教わってですな、くぐってきました。これで、数々の悪行が染みついた身体も清められるわけですから、ラッキーですね。これからまた締切を破っても、たぶん大丈夫です(笑)

それにしても暑かったですが、次は、プレジンさん所縁の智積院へ。ファイルNo.230(笑)
新日吉神宮から歩いてすぐです。
山門のまえに辿り着いて、びっくりですよ。まず、デカい。想像していたより、かなりデカいです。山の麓とはいえ、こんな街中によくもまあこんなにデカい敷地があるな、ってくらいです。伽藍も20ほどあります。
んで、デカいだけじゃなくて、風格がね、すごいんです。
個人的には、本能寺の風格、きりっとした厳しく端正なたたずまいが好きなんですが、それに通じるものがあります。
見ればすぐに禅寺だとわかるほどに渋いんですが、空海建立の、真言宗智山派総本山です。風格があるはずです。京都五山のひとつ、東福寺とタメを張れるんじゃないですかね。
プレジンさんにこのお寺さんを進められたのは、「雨の日にお勧めの京都のスポット」というマニアックなランキング紹介の日記を書いたときなんですが、ここ、雨の日にいいかも。長い石畳の左右が、渋い植え込みの垣根になってるんですね。この風景がね、雨が降ってるときだと、より一層映えそうです。
真言宗なので、ご本尊は大日如来さんのはずなんですが、お不動さんを安置している明王殿があったり、行動に安置されていたのは菩薩さんだったりしました。どうしてなのかはわからないんですが、まあ、仏像は結構いろんなところに動きますからね。
ここ、名勝庭園と宝物館以外だと、拝観料を取りません。良心的ですね。いや、良心的というよりも、今も熱心な信者さんがたくさんいて、寄付でまかなえてるのかな。ハイヤーが何台も停まってました(笑)
宝物館には、国宝指定されている、長谷川等伯の障壁画がありました。楓、桜、松、葵とありましたが、どれも狩野派とはべつの意味での華やかさとダイナミックさがあって、しばらく見入ってしまいましたよ。
ところで、オレがお寺さんに参る最大の楽しみは、庭園を眺めながら縁側で昼寝することにあるんですが、ここは、とにかくデカくて、なかなか庭園まで辿り着けません(笑) 暑いなかを、新日吉神社からずっと歩きっ放し、早く寝っ転がりたいです!
で、ここの庭園。ちょっと変わってます。中国の廬山を模した、土地の高低を利用した築山・泉水庭なんですが、築山の右半分を占める刈り込みが、見事な流線型を描いていて、ちょっと見たことない風景です。巨大なまな板を斜めにして、表面を軽くねじったような…。この刈り込みを見るだけでも値打ちはあるかも。それとですね、縁側の下にまで池が張り出している点。庭を眺める書院が釣り殿みたいになってます。これも、珍しい。ここでやっと、少しだけだけど、念願のお昼寝をしちゃいました。至福のときですな。これがあるから、お寺さん巡りはやめられないわけで。

さて、今日は本当は都合5軒まわる予定だったんですが、ここまででかなりの時間を使ってしまい、残すところ、あと1軒しか行けません。んで、思案した結果、車をあずけた駐車場に一番近い豊国廟へ。
が、しかーし、ここで、豊国廟を選んだがために、えらいめに…。
あのね、京女大学の正門まで来たら、鳥居はすぐそこにあるんです。だから、これは、パッと見てパッと退散出来るなあ、ってかんじで。
豊国廟って豊国って名前がついてるくらいやから、明治以降の、軍神を祀ったりしてる神社やと思うよ、なんて、エラそうに蘊蓄を相方に語ってたんです。いや、その蘊蓄は、語った直後に出現した由緒書きに、豊臣秀吉を祀っている、という一文を発見して、お粗末な推測やということがバレてしまったんですが、それはまあ、どうでもよろし。
かなり山に入り込んでるんで、少〜し、イヤな予感はしてたんですけどね。
やっぱり、ですわ。
鳥居をくぐった瞬間に出現した、天にも昇る階段…。えっ!って思わず口から漏れて、目が点になるような、過去最大級の階段。これ、上るの? 直線距離で300mくらいありそうな…。山を削ってつくった石段が、直線距離で約300m程度ですからね…。すでに、炎天下のなかを歩きまわって、汗だくだくなんですけどね。
はい、上りましたよ。エンヤトットエンヤトット言いながら、相方の手を引っぱり引っぱられ、途中で休憩も入れて。ちなみのオレ、草履ですわ。鼻緒が擦れて、親指の付け根、皮が剥けました。
ほいでですな、最後の一段を上り切ったところで、やっと辿り着いた思いきや…、詐欺ですよ! 平坦な道が続いて、その先にまた、長大な石段が! しかも、今度の石段は角度が急! しかもしかも、そこから先、拝観料をとりやがる! 神社で拝観料を取るんじゃないですよ。国家予算でまかなってよ。
もうね、最後は膝が笑いました。ブラジル戦を闘ったあとの日本代表みたいに、ヒデみたいに、頂上で大の字になって寝ましたね(笑)
しかもしかも、こんな高いところまで上ってきたのに、山の樹々に邪魔されて、下界の景色なんてまったく見えやしない。んで、頂上にあるのは、秀吉のバカでかい墓のみ…。
これ見せるだけなんやったら、もっと低い場所につくってよ! お門違いのグチまで吐いてしまいましたよ。
ひとしきり寝て、あとは転げ落ちるように、下界へ。
明日、絶対に筋肉痛です(笑)

2006-06-09

京都神社仏閣巡り 小ネタ編

城南宮
誕生寺
羅城門跡
西寺跡
吉祥院天満宮
新熊野神社

昨日行った、京都神社仏閣巡り、小ネタばっかりです(笑)
どこもショボイし、たいして面白くもない。
なら行かなければいいなじゃないか、というのもごもっともなんですが、ところが、そうはイカンのですよ。
なぜなら、
オレの京都神社仏閣巡りは、7年前にJR京都駅の観光案内所で100円で買った京都観光案内地図がベースになってまして、そこに載ってる神社仏閣をスタンプラリーしてるんです。行ったところはマーカーで塗りつぶして、ってかんじで。
300近くの神社仏閣が載ってるんですが、7年がかりで200ヶ所ほど行きました。
残、約100ヶ所。当然、ショボイところもたくさんあります。なんでこんなわけのわからん寺まで?ってところまで載ってます。上記、誕生寺なんて、まさにその典型で、ネットで調べても、まず出てきません。取り立ててなにがあるわけでもなく、かといって廃寺でもなく、なんとなくボンヤリと存在してるかんじ(笑)
でも、地図に載ってるんだから、行くしかないじゃないですか。行かなけりゃ、マーカーで塗りつぶせません(笑)

城南宮ってのは、不思議なところでした。平安時代に都鎮護のために建てられたらしいのですが、一応の見どころは、庭。いろんなタイプの庭を次々と造ってるみたいなんですが、どれもバッタもん臭くて、出来損ないのテーマパークみたいでした(笑) だって、神社のくせに、禅宗仕様の枯山水庭園までつくってるんですよ。白砂に奇岩をボン、ボン、ボンって置いてあるやつね。でも、白砂のところが、なぜか芝生! こんな庭あるか!ってかんじです。これで金をとるんだから、たいしたもんです。
羅城門跡、西寺跡にいたっては、石碑だけなので、車から外に出ることもなく、車窓から眺めただけ(笑)
だって、羅城門跡は周囲が児童公園になってしまっていて、すべり台とかブランコに囲まれて、ひっそりと石碑があるだけだし。西寺跡も似たようなもんで。ここも周囲が公園になってて、小高い丘のうえに石碑がポツンと。往時には東寺と勢力を二分したお寺だっただけに、なかなか寂しいかんじがします。まあ、雨乞い合戦で守敏僧都が空海に負けちゃったんだから、仕方ないんですけどね。
新熊野神社…、丸太町東大路の交差点にあるので、車を停めることも出来ず、駐禁取り締まりのポリさんもうようよしてたので、同行のatricotさんと、交替で車を降りて参拝(笑) でっかい楠を見上げて、ホーッと言って終わりました。所要時間、5分(笑)
吉祥院天満宮。ここで菅原道真公が生まれたらしく、ご生誕の証の品が収まってるらしいのですが、その看板、傷みが激しくて、肝心の、ご生誕の証の品がなんであるのかが、剥げてて読めません(笑)

こんなかんじで、もう、しょぼい小ネタばっかり。ほんと、なんでこんなところばっかりをシラミつぶしに行ってるのか。でも、仕方ないじゃないですか、地図に載ってるんだから。塗りつぶさないといけないんだから(笑)

逆のパターンもあります。
京都の真ん中に、庶民のためのお寺、六角堂というのがあるんですが、それと対をなすかたちで、近くに、革堂というお寺さんがあります。革堂も六角堂に負けず劣らず有名で、調べてみると、なかなか興味をそそられるお寺です。でも、なぜか件の地図には載っていない。載ってないから、行かない(笑)
すぐ近所にクライアントの事務所があるので、このお寺の前はしょっちゅう通ってるんですが、一回も立ち寄ったことがないです(笑)


今回は、結局のところ、最後に立ち寄った比叡山ふもとにあるエスニックカフェ『芽亜里』が一番収穫があったような…。
山んなかにこんな素敵なカフェがあるとはビックリでした☆
比叡山の山のなかに、いきなりバリのコテージが出現したようなかんじです。
グリーンカレーが、かなりおすすめ☆

2006-06-01

志明院/鴨川の源流に行く





昨日まで月末仕事パンパンで、まじ、寝る暇なかったです。mixiやってる暇なんて、1秒たりともない状態(笑) 久しぶりに、マックスで忙しかったですわ。マイミクのみなさん、日記の巡回、全然行けてないです。すんません。。
なんせ、月刊誌130ページ弱の新雑誌創刊業務を1人で編集するなどという、地獄の鬼も逃げ出しそうな狂気の沙汰。。。数年に1回あるかないかみたいな体験をしてますですよ。

でも、なんとか月末を乗り切りですね、日付の変わるまえにベッドに入り、寝ようかなと思った矢先。翌6月1日は晴天。しかも予想最高気温30℃。終日寝ていようかとも思ったんですが、この天気なら雨女の相方を連れ出して出かけない手はありません☆
んで、急遽、鴨川ドライブ&神社仏閣巡り実施。

夜の遅い時間に決めたのでお弁当をつくってもらう時間もなく、当日は、オフィス街にてビジネスマン昼食向けのワゴン弁当屋さんを物色して、お弁当を購入。

オレは、京都の魅力は鴨川に負うところが大きいと思っているので、今回は、今までに行ったことのない鴨川を上流まで遡ってみたいと思ってました。
地図でみると、鴨川が山に入ったあたりで、雲ヶ畑という地名があります。どっかで聞いたことがある程度でまったく思い出せないけれども、まあ、山だし、北山杉でも拝んで、澄んだ美味しい空気も吸えるだろう、と。

ところで、オレがかれこれ10年近く愛用してボロボロになっている、京都市観光協会発行の京都観光案内地図なるものがあります。縮尺とか細かい道だとかがかなりいい加減な地図なんですが、神社仏閣がこれでもかというくらい載っていて、オレの神社仏閣スタンプラリーには欠かせないアイテムになってるんです。行ったところはマーカーで塗りつぶしていって、そろそろ200軒くらいは塗りつぶしてるんですが、それでもまだ3分の1程度は未踏のスポットが残っているような、詳細な地図。
この地図を広げてですな、雲ヶ畑なる場所あたりを見てみると、なんと、今までまったく気付かなかったのですが、志明院なるお寺がポツンと太平洋の離れ小島みたいにして、記載されているではないですか。
当初は、鴨川上流ドライブをやったあとに適当な場所でお弁当を食べて、それから市中に戻ってどっかの寺を攻めようかと思っていたのですが、方針変更。鴨川上流を攻めつつ、この、志明院を目指す、と。

途中、案の定、とても京都市中から車で30分足らずとは思えないような山のなかを走り、ところどころに大きな穴のあいているアスファルト道をガタガタ言わせながら走り、ほんまにこの道で正解なんかいな?と不安を募らせ、志明院に到着。

いや、いいお寺でしたよ~。これ、大ヒット☆
山にあるお寺といえば、京都では、有名どころだと鞍馬寺、ちょいマニアックだと、鳥獣戯画のある高山寺。どっちも素敵なお寺さんですが、この、志明院、そこに負けず劣らず、とってもいいです。人がいないぶん、こっちのほうが断然いいと断言してもいいです。

険しいところにある山寺でね。30℃の夏日でしたが、車から降りた途端、すっごく気持ちいい程度に空気がひんやりしてて、しかも濃厚に緑の匂いがする…。
生き返るというか、パワーをもらうというか、そういうかんじです。

鄙びた、いいお寺さんです。
岩屋山不動教の本山で、650年に役行者が草創し、829年に空海が淳和天皇の勅願により再興したのだとか。天保年間に本尊と山門以外のほとんどが焼失したんですが、なかなか由緒あるお寺さん。続日本記にも、ちゃんと記録が載っているそうです。

空海開眼のお不動さんや、菅原道真作のお不動さんなんかもあるんですが、そんなものよりもなによりも、本堂裏手の山を登っていくと、大きな岩に隠れるようにして、浅い洞窟があるんです。
で、なんと、そこが、鴨川の水源。その洞窟から湧き出した水が、鴨川となって京都市中を流れているんです!
もちろん、鴨川上流はいろんなところに分岐しているので、これが源流であるとひとつに特定することは出来ないので、この洞窟の湧き水は、源流のひとつです。しかし、この洞窟の湧き水を空海が神聖視し、水神を祀り、皇室が崇敬しています。
ただ、そうした由緒を知るまでもなく、ここに来れば、一発で、この場所が聖地であることがわかります。大きく迫り出した岩とその陰にある洞窟は、すごい迫力です。ましてや、そこが鴨川の源流のひとつなら、空海ならずとも、この場所を聖地とし、祀りたくなります。

古びた山門をくぐると、社務所にいる初老のご婦人が迎えてくれました。このご婦人、下駄にもんぺ姿なんですが、すごく美人で品がありました。
流行りのスローライフもロハスも関係ない、べき論でもなんでもなく、自然体でそれを実践している素敵な素敵なご婦人が、お寺の由緒や見どころを説明してくれました。

石楠花がすでに散ってたけど、おそらく紅葉のシーズンはすごくキレイだろうけれど、でも、天気がよくて、気温がちょうどよくて、緑が濃厚で、絶対に一番いい季節に行ったんだと思います。

このお寺さんはかなり気に入りました。
また絶対に行きたいな、と、思った、数少ないお寺さんでした。


そのあと、鴨川でお昼寝。2人して、本気で熟睡してしまいました(笑)
そして、久しぶりに、ヴァン・モリソンが聴きたくなりました。




Van Morrison / It's All Over Now Baby Blue

2006-05-28

「雨の日におすすめの京都」





今週の「NIKKEI プラス1」のなんでもランキングは「雨の日におすすめの京都」。いつもながら微妙にマニアックなランキングです(笑)

1位 詩仙堂
2位 高桐院
3位 石塀小路
4位 天龍寺
5位 祇園新橋・葵橋
5位 三千院
7位 南禅寺
8位 糺の森
8位 二年坂・産寧坂
10位 祇王寺
10位 青蓮院門跡
10位 白沙村荘

有名どころも入ってますが、そうではないところも入っていて、普通の京都観光人気スポットランキングとは微妙に違ってますね。清水寺、金閣寺、銀閣寺、三十三間堂…ランク外です。

もっとも、このアンケートは「専門家に聞いた、雨の日におすすめの京都」なので、雨であろうがなかろうが、多少はマニアックな結果が出るんだと思います。それだったら、なぜ、オレに聞かん?(笑)

だって、1位の詩仙堂なんて、雨が降ろうが降るまいが、ここ数年、順位をグングン上げてきているところだし。たぶん、「2度目3度目の京都で行きたいところ」みたいなアンケートをとったら、やっぱり1位になると思います。
詩仙堂は春のサツキと秋の紅葉(ライトアップが素晴らしいです)が有名ですが、年中なにかしら見応えのある花が咲いているので、いつ行っても気持ちのいい場所です。でも、散策するのにちょうどの規模の大きさの庭なので、雨の日に行くよりは晴れた日に行くほうがいいと思うんですけどね。

むしろ、2位にランキングされた高桐院を1位に推したいです。
石畳&苔の参道は、雨の日に映えると思いますよ。雨に濡れた石畳は黒々として風情があるし、苔は雨水をたっぷり吸ってみずみずしさを増します。これ、黄金の組み合わせだと思うけどなぁ。

3位の石塀小路…、これも、雨が降ろうが降るまいがあんまり関係ないような…(笑)石畳の狭い路地を挟んで料亭とかがあって、日本人が普通にイメージする京都の風景が、そのままある、ってかんじです。それでいて神社仏閣とは無縁の場所だから、通ぶったイメージもあるじゃないですか。

10位にランキングされた祇王寺は、晩秋の雨の日に行ったことがあります。散った紅葉が地面全面に敷きつめられたようになっていて、さながら真っ赤な紅葉の絨毯でした。オレは、紅葉が散って地面が真っ赤に染まる風景が好きなので、例年、遅めの12月上旬にあちこちの紅葉を観にいくようにしてるんですが、こんときの祇王寺は、当たりでした☆ 雨も長時間降り続くと地面がグシャグシャになって汚いだけですが、そうなるまえだと、地面に敷きつめられた紅葉が雨に濡れて、より鮮やかさを増します。それはそれはキレイ☆

同じく10位にランキングされた白沙村荘。銀閣寺のすぐそばにある橋本関雪の住居跡ですが、まあ、これもマニアックな部類に入りますな(笑)銀閣寺は人混みでごった返してますから、喧騒を避けるために、こっちへ行くのはいいかも。しーんとしてますから。石塔がたくさんあって迫力のある庭ですが、しーんとしたなかで石塔と向き合っていると、なにやらいいかんじです。ただし、ここの庭は、重文指定されていないために維持費が捻出出来ないんだと思いますが、荒れてます。

オレなら、このランキングに正伝寺(http://www.mediawars.ne.jp/~tanimura/a_map/form/kyoto/kyoto_temple/syouden_ji.htm)を加えるかな。
小堀遠州作庭のあっさりした庭があります。七五三に刈り込まれたサツキの庭園越しの比叡山借景がいいかんじで、人も少ないし、雨の日だと余計に風情が増します。

そういえば、オレの相方は、強烈な雨女。デートの日にピンポイントで台風を呼び込んだり、前後の日が晴天でもその日だけ雨だったり…。
正伝寺を訪れたときも、雨でした(笑)

2006-04-27

なにもない場所の素敵な民宿

昨年、夏の盛り、9月の初めだったと思うんですが、京都の山奥、花背というところにある民宿に、彼女と2人で行きました。

山奥といっても、京都市左京区。
ご存知ない方も多いでしょうから説明しますとですね、京都市左京区というところは


京都の地図が手元にある人は広げてみてほしいんですが、京都市左京区のエリアの広さといったら、尋常じゃありません。
南は下鴨神社のあるところですが、ここははっきりいって京都市中、都会です。
これがですね、北へ北へとグングングングン伸びているんですよ。京都の奥座敷として紹介される鞍馬や大原なんて、まだ左京区の中間ぐらいの位置です。そっからね、山を越え野を越え、いくつかの名の知れない集落を越えてなお、まだ左京区です。

そんな左京区のどん詰まり、花背という場所にある民宿に、去年の9月に彼女と行ったのでした。
これがねえ、ほんまにここは京都市なのか?と言いたくなるほどに、すごいところにあるのですよ。
まず、京都の市中、出町柳から1日に2本しか出ていないバスに乗って約2時間かかります。途中からは通りは山道めいてくるんですけどね。それでも、京都市左京区(笑)
しかも、目的の民宿はそこにあるのではなくて、そこから迎えの車に乗ってさらに山ん中を30分ほど走ったところにあります。それでも、京都市左京区(笑)
もう、なんにもないところでね。山と川と畑があるだけの、隠れ山里みたいなところです。完全に、林間学校の舞台みたいなところですから。それでも、京都市左京区(笑)
京都府○○市大字小字じゃないですから。あくまで、京都市左京区(笑)
地図を見ていただきたいのですが、とても京都市左京区の地図とは思えません。でも、ここはまぎれもなく、京都市左京区(笑)

でもね、いいんですよ、ここが。
途中、バス停前にあった家の姓が「杜若」(かきつばた)。だからか、バス停の名前も「杜若」。平安時代の惟喬親王お手植えと伝えられるカキツバタが、この敷地内にあるのだとか。
だから、かなりむかしから開けている山里で、神社もあったりするんですが、、まあ、それだけのことで、あとはなんもない。
山と川と畑しかないです。
都会育ちのオレや彼女にとっては、なんにもないところというのは、住めといわれたら退屈で逃げ出すだろうけれども、遊びにいくのには、たまらなくいいところです。
村上春樹の『ノルウェイの森』の舞台になったところらしいので、いち時期はどっと若い女性客が訪れたらしいのですが、今はそんなこともなく、人の気配すらありません。

民宿がまたいいところで。
老夫婦で営んでおられるんですが、接客がすごく気持ちいい。
オバァは丁寧に接してくれるんですが、オジィは、隣近所の旧知の間柄みたいな、なんの気取りもなく接してきます。この2人のバランスを上手く説明出来ないで歯がゆいんですが、家に帰ってきたようでもあり、でも要所要所はきっちりとお客さん扱いしてくれるような、とっても心地いいんです。接し方の距離感がね、とても心地いいんですよ。

部屋もいいんです。
代々、庄屋さんだったところがそのまま残っている家で(江戸時代末期の建物ですと!)、もちろん茅葺き。欄間には、由緒正しき槍なんかが飾られています。
オレと彼女が泊まったときはお客さんが少なかったこともあって、続きの2間を独占させてもらいました。
部屋の前は縁側を挟んでよく手入れされた苔庭です。で、その向こうは山影を配した見事な借景ですよ。それ以外になにもないから、虫の音しか聞こえません。

ずーっと、その縁側で寝そべってましたね。
たまに、川に遊びにいったり。。

食事は、鶏鍋です。裏庭の小屋でオジィが飼育されている地鶏で、しめたばっかりのものが供されます。ササミやレバーの刺身が出されて、それから鍋。
シャモを思わせる引き締まった肉質で、肉自体に野生の風味があります。高級な焼き鳥屋なんかで出てくる、出来かけの卵も。

暗くなれば、TVもないし、携帯も通じないし、やることなどなにもありません。いや、明るいうちでもやることなんてなにひとつないんですけどね。
ジーッという虫の音と、蚊取り線香の匂いが部屋に漂っているきりです。
ふと、小学校の林間学校が思い出されます。頭のなかが田舎の空気のようにスキッと澄み切ったかんじになって、寝つけません。眠れなくて苦痛、というわけではなくて、そうやって冴えた頭で山里の夜の音を聴いている状態が、とても心地いいんです。

翌朝も、オバァが摘んできた山菜の天ぷら。
シャキッとしますね。

部屋には、宿泊客が思い思いに感じたことを書き綴ったノートが置かれているんですが、日本中からいろんな人が来ています。そして、みんな、また今度来たい!って。連泊される人も多いみたいです。

じつは、ずいぶん前にここを知り合いに紹介したんですが、つい先日、夫婦で行ってきたとのこと。
まだ寒かったので、夜はオジィが豆タンのアンカを用意してくれて、そういうのを見たのも初めてだったから、なにもかもが新鮮でよかったとのこと。

その話を聞いて、またオレも行きたくなってきました。
今年、もっといい季節になったら、もっかい彼女と行こうと決めた、今日のオレなのでした。

民宿ダン林。TEL.075-748-2113
1泊1人9000円。安いです。


こんな場所では、音楽は無用です。

2006-04-06

ウォーキン・イン・鴨川





昨日は久しぶりに鴨川でノンビリしておりましたです、ハイ。

京都は魅力がたくさんあるところですが、鴨川がある、というだけで、京都の魅力は3割増ですね。

ジョギングしてるオッサン、犬の散歩してる奥さん、写真撮ってる専門学生さん、サッカーしてるにいちゃん、楽器の練習してる部活の人、置物みたいに座ってるオジィ、通勤帰りのサラリーマン、本読んでる少女、てんとう虫、鴨、トンボ、猫…、
マン・ウォッチングしてるだけで楽しいし、ほのぼのとするんですが、今日、はたと気がついたのは、鴨川は京都でも数少ない、観光客がいてないところですな。川床がある下流でも、岸に降りて歩いてる観光客はほとんどいないし、上流だと、まずいません。

大阪から遠征に来てる身とはいえ、神社仏閣を巡りまくってる身とはいえ、オレは観光客ではないつもりなので、やっぱり、そういう京都が好きです。

北大路より上流は、まだ桜が咲いてません。
でも、鴨川でノンビリするなら、絶対に上流です。
ベンチに座ってもいいし、川原の草むらで寝っ転がってもいいし、フリスビーして遊ぶのもいいです。
下流の、なぜか等間隔にカップルが座っているのは、あんまり好きじゃないです(笑)

昨日は、現在制作中の彼女のHPに載せる彼女の作品の撮影を行っておりました。
作品を枯れ木に吊るしてみたり、川原に並べてみたり、空に投げてみたり…、かなりかなりアホウな撮影をしてて、シュールな写真が何枚も出来ました。
HP制作の進捗状況は一歩一歩ですが、まあ、いいかんじのHPが出来るような気もします。

目に入ってくる風景が優しいし、風が心地いいし、流れている時間のスピードがずいぶんと緩いです。

ほんと、
京都人は、この鴨川に日常的に接することが出来るだけでも、オレにとっては羨ましい存在です。
忙しくても、疲れていても、落ち込んでいても、この川原に来て、鴨川の持つ空気に包まれたら、すぐに穏やかでいい気分になっちゃう。

ここの川原に家を建てて住みたいくらいですよ。

で、昨日は、彼女のお手製お弁当付きで☆
素敵な場所に一緒にいて、一緒にお弁当食べて、一緒にモノヅクリ出来る。。
オレが幸せを実感出来るのは、こんなときなのですよ。

昨日、マイミクのゆらりさんとも、momoholidayさんともニアミスだったようで、プレジンさんおすすめのお店も見つけられなかったけれども、そのせいでかなり惜しい気もしたのだけれども、でも、それはそれ。オレはなかなかに幸せを実感しておりましたですよ。

BGMは、もちろんフィッシュマンズです☆




Fishmans / 『ナイト・クルージング』