2007-02-27

大悲閣千光寺

  • 京都市西京区嵐山中尾下町62
  • [tel] 075-861-2913
  • [拝観時間] 9:00-17:00
  • [拝観料] 400円
  • [アクセス] 阪急電車「嵐山」駅下車徒歩20分

朝日文庫から出ている司馬遼太郎の人気シリーズ『街道をゆく』は、読むとたちまち司馬が歩いた道をなぞってみたくなるような、素晴らしい紀行文なの だった。この小説家は、紙に封じ込まれた味気ない歴史に血と肉を与え、泣きも笑いもする生身の現実を与えてくれる。そのような小説家が書く紀行文は、訪れ た地の幾重にも重なった地層を単純に掘り起こすだけでなく、それこそ、そこが生身の人間の無名で無数の営みが積み重なった場所であることを、思い出させて くれる。

このシリーズの第26巻に、『嵯峨散歩』の一編が収められていて、渡月橋や天龍寺などのメジャーなスポットにまじって、「大悲閣」なる名がそこにあるのだけれど、ありとあらゆる場所が踏破され蹂躙されたと思われる嵐山にあって、ここだけは、掃射を免れたようにひっそりとたたずんでいる。何度目かの嵐山なら、行くべきはここだ。


阪急電車の嵐山駅を降りて、嵐山公園を抜け、渡月橋をわたって目抜き道路を歩いて天龍寺を訪れ嵯峨野へ入っていくのがメジャーなコースなのだけれど、大悲閣は、このコースから外れている。渡月橋をわたらずに、川の西側に沿った道を歩く。15分から20分は歩く細い一本道なのだけれど、これがいい。左手は鳥ヶ岳の山林、右手は桂川である。桂川は道のすぐ横にまで水をたたえたり、ある場所では石の川原を抱えたりで、その起伏に富むさまは眺めているだけで楽しくなってくる。桂川の向こうには、大本山天龍寺を抱く亀山公園の山がせりだしている。そして、道に沿った並木の紅葉が、歩く人々の頭上から降り注ぐ陽の光を柔らかい木漏れ日に変えてくれる。なによりもいいのは、この道には、ほとんど人がいないということだ。


嵐と 言えば、全国でもトップクラスの観光都市である京都のなかでも最重要ポイント。はっきり言って、観光客の、それも有害指定したいオバサン集団のいない場所 は、どこにもない。どこにもないと断言したくなるほどだが、幸いなことに、メジャーなコースから外れているおかげで、この道を、彼女たちが歩くことはまず ない。おかげで、この道は、風が樹々の葉を擦る音と、川のせせらぎと、虫の音しか聴こえない。遠くで、トロッコ列車の走る音が聴こえるのは、かえって風情があるというものだ。


歩くなら、夏の前後がいい。青々とした若い紅葉の緑とその緑に濾された柔らかい陽の光が、どれだけの憂鬱を抱えていても、生きる希望の力のようなものを与えてくれる。それも、優しく。そう、優しい、滋味のある道なのだ。


途中、川原のあるところで道を降りて、一服するのもいい。川縁なので、涼しい風が吹いているから、ここで過ごす
シエスタは、かなり気持ちいい。


道 を進むと、途中、露天の茶店のような構えに出会う。老齢の女性がいて、缶ビールやジュースをクーラーに入れて売っている。司馬遼太郎もこの老婆に出会って いて、その記述が傑作なのである。江戸時代からそこで暮らしているような山姥、と、司馬にしてはエグい記述をしているが、まさにそのとおり。どうして一日 に何人も通らないこんな場所で商売をしているのか知らないが、営業権など持っていないに違いないこの店のまえを通る人を捕まえては、ビールやジュースを売 りつける。そのやりかたは、巧妙である。その気のない人に、まず、時間を尋ねる。そうやって道往く人の足を止め、世間話に持ち込み、ベンチに座らせる。旅 のなかで地元の人に声をかけられて嬉しくない人はまずいないから、大抵の人は、言われるままに腰を降ろす。そして、飲みものを勧められる。その口調は、好 意で飲みものを勧めてくれているような口ぶりなのだが、ところがどっこい、最後にはきっちりと代金を請求されるのだ。それも、高い。通常の5割増である。 相手は老婆だし、飲んでしまった負い目も手伝ってか、不満はあるだろうが、文句を言う人はいない。ちなみに話の中身は、天気の話や世間話にはじまって、た いていは、老婆の身の上話になる。大阪の出身で東京に嫁いで苦労してどうとかこうとか。まあ、これをうっとおしいと思うか旅のちょっとしたアクセントとし て笑って受け入れるかは人それぞれだろうが、二度はゴメンである。


気を取り直して道を進むと、料理旅館の嵐峡館が見えてくる。渡月橋あたりの賑わいから歩いてわずか15分か20分とは思えない、秘境の隠れ家のような旅館である。まだ泊まったことはないが、川のせせらぎを眼下にしたがえた、贅沢このうえない旅館だ。川は、その名を、いつの間にか保津川に変えている。この川は不思議な川で、渡月橋よりも下流を桂川、渡月橋近辺を大堰川、その上流を保津川と名を変える。ちなみに、大堰川という名は、源氏物語にも平家物語にも、その記述がある。平家物語では、このあたりの小高い丘は千鳥ヶ淵と呼ばれ、平重盛の家臣であった斉藤時頼(滝口入道)との恋に破れ、この地に身投げした横笛の話がある。


嵐峡館に辿り着いたら、左手に、山に分け入るさらに細い小道がある。これが、大悲閣千光寺への参道だ。参道入口には芭蕉がこの地を訪れた際に読んだ句「花の 山二町のぼれば大悲閣」が立て札に紹介されているが、これについて、司馬遼太郎は、なにやら挨拶じみた句で芭蕉の作品とするには気の毒のような出来であ る、と書いている。それはさておき、芭蕉のころと違い、今では、花の山といった華やかさはない。代わりに、静寂の山と言いたくなる趣があるばかりである。 歩いて10分ほどの参道だが、勾配が急なために汗だくになる。しかし、山門をくぐって、本堂に辿り着くと、汗だくになって登ってくるだけの価値があること がわかる。


そもそも、ここの本堂は変わっている。本堂らしさがまったくなく、威厳もない。ざっくばらんな空間になっていて、写経道 具、辞書、ガイドブック、パンフレット、眺望説明図や重軽織り交ぜた蔵書などが置かれている。まるで、どこかの山荘の広間にでも来たような雰囲気なのだ。 そう遠くないむかし、ここで算盤教室が開かれていたそうだが、思わず頷いてしまう。そして、開け放した前面からは、眼下に京の景色が一望出来る。保津川の流れはもちろんのこと、京都タワー、大文字山、双ヶ丘、東山三十六峰、比叡山までもが一望出来る大パノラマが広がっているのだ。そして、まるでビルのてっぺんにでもいるような、気持ちのいい風が吹き抜ける。京都中、ここほど素敵なシエスタの場所などないのではないか、と、思ってしまう。椅子に座って眺望を楽しむことも出来るし、床に寝そべってシエスタを楽しむことも、もちろん可能だ。来客に出会う確率は、平日で1組出会うかどうか。もし許されるのなら、フィッシュマンズの音楽を流しながら、シエスタを 楽しんでみたい。それくらい、ゆる〜い空間だ。フィッシュマンズはライブ盤の『男達の別れ』がもっとも素敵なのだが、あれは男気が勝ちすぎていて、この場 所では似合わないかもしれない。ここは、『宇宙日本世田谷』をチョイスしたい。この本堂の雰囲気には、フィッシュマンズのいたないバックビートがとても似 合うから。


最後に、この寺の縁起を。


本尊は恵心僧都作 の千手観世音菩薩だが、これは、角倉了以の持念仏である。この寺には、角倉了以が深くかかわっている。角倉了以とは、織豊時代の豪商だが、京都では、高瀬 川や大堰川の開削工事を行ったことで知られる人物である。当時、川は、物流の重要な経路であり、角倉が高瀬川を開削したことで、伏見の清酒を京の都まで船 で大量に運ぶことが出来るようになった。こう書くと、阪急電車が北摂の ベッドタウンと大阪都心を電車で結んで人の移動に貢献したのとおなじことのように思えるが、大きく違う点は、角倉は、川を通る船から通行料をとらなかっ た。川を開削することは私企業としての利益追求の一環ではあったが、同時に、純粋に社会貢献でもあったのだ。大堰川開削に際して、河川工事協力者から多く の犠牲が出た。難工事だったのだ。大悲閣千光寺は、角倉が、犠牲者の菩薩を弔うために、現在の清涼寺近くにあった千光寺の名跡をこの地に移して創建した禅 宗寺院である。

なお、大悲閣という名は、一般的に、観世音菩薩を安置する仏堂のことを指す。大きな慈悲、という意味である。

2007-02-22

光琳の梅

オレ、尾形光琳という日本画家が大好きでしてね。
日本画家のなかでは、たぶん、一番好きかもしれません。
繊細さとダイナミックさが同居していて、なんというか、スケールが大きくて、王さまの芸術とでも呼びたくなるような趣です。

なかでも傑作の誉れ高い『紅白梅図屏風』は、死ぬまでに一度は見たいなあと願ってる作品でして。熱海のMOA美術館にあるんですが、熱海に用事はないし。。
あ、これが『紅白梅図屏風』です。

ま、それはさておき、今週はなかなか暖かいじゃないですか。
なので、相方さんをつれて梅でも見にいきたいなあと思っていて、梅情報をつらつらと調べていたんですが、な、な、なんと尾形光琳が『紅白梅図屏風』を描く際に参考にしたという梅が、下鴨神社にあるというではないですか!
そんなん全然知らんかったんですが、今年のJR東海の「そうだ 京都、行こう」のキャンペーンで紹介されて、一気に人気者になっとるらしいですやん。

下鴨神社は何度も行ってるけれども、そんなん、全然知りませんでした。
ちょうど、あのあたりは椿がたくさんありますから、そっちも見頃やろうし、ほんなら行きまひょ!ということで、行ってきましたですよ、仕事サボって(笑)


それにしても、梅日和というか、いい天気でした☆
花を見るのには、こういう日が一番ですな。しかも、一応は冬の平日だから、人も少ない! いうことないです。

下鴨神社は京都で一番古い神社。上賀茂神社の親でもありますが、みたらし団子の生みの親でもあります。御手洗川も御手洗社もありますからね。
すぐ横には京都のジャングルというか、人の手の入っていない数少ない森、糺の森がありまして、さらにその向かいには京都家裁があります。「糺す」と命名された森の横に裁判所があるというのは、偶然なのかどうか知りませんが、なかなか意味深ですな。もっとも、本当のところは、賀茂川と高野川の合流点にあるので、只洲→糺す、となったとする説が有力ですが。

この森を縫うように下鴨神社の参道が続いており、今日みたいな天気のいい日には、原生林の森から木漏れ日が射し込んで、とーっても気持ちがいいです。この森は、夏に来ると虫が多くて閉口しますが、それ以外の季節だと、いつ来てもいい気持ちになれるから、大好きです。

さて、目指すは、本殿横にある「光琳の梅」です。幸いなことに、人影もまばら。
それにしてもあんなところに梅なんかあったっけなあ、などと思いながら歩いていくと、もうね、一瞬で目に入りました。



いやいや、艶やか! お見事です! って梅。
御手洗川に架かる輪橋(そりはし)のたもとにね、1本だけなんですけど、それはそれは見事な梅が。。
ちょっとね、これ、溜めいきが出ますよ。
一応、写真を撮る目的で来たんですが、ほえーっと、見とれてしまいました。
1本しかないからなおさらだけど、すんごい、フォトジェニックな梅です。
また天気がよくって抜けるような青空だから、そのコントラストが鮮やかで。











光琳が『紅白梅図屏風』の梅はかなりリアリスティックに描いてありますが、この梅をそのまんま模写するように描いたわけではないですね。
眺めていて、そう思いました。
そうではなくて、この梅が持っている本質、それは王さまの梅とでも呼びたくなるような桁外れの艶やかさと華やかさなんですが、それこそを、光琳は屏風に写しとったのだな、と、この梅を見て思いましたよ。
光琳の作品は、どれも、規格外です。繊細さと大胆さが同居するというウルトラC級を内包するのが光琳の作品の特長だとオレは思っているのですが、そういう光琳だからこそ、この梅が心に響いたのだな、と、そんなふうに思いましたな。

これで『紅白梅図屏風』の実物と対面する日が、ますます楽しみになってきました☆
誰か、熱海に行くような仕事をくれませんかね?(笑)
もしくは、屏風を熱海から関西に持ってきてくれるとか(爆)

下鴨神社の光琳の梅と前後して三条河原町の本能寺、下鴨神社の摂社である河合社にも立ち寄ったのですが、それはまた今度にでも。

あ、糺の森には、キレイな椿も☆


2007-02-08

一休寺と浄瑠璃寺に行く

昨日、メチャクチャ天気がよかったので、今年最初の神社仏閣巡りツアーに出かけたのでした。

いや、本当は、数日前から予定していたのだけれども、相方さんは無類の嵐を呼ぶ女。ピンポイントで台風を連れてきたり爆弾低気圧を連れてきたりなので、この日もあんまり期待はしていなかったのですが、な、な、なんと、この冬の暖冬を象徴するかのような、日中の気温15℃のおだやかな日和☆

今年は幸先がいいのか?(笑)

天気がいいので、町中のお寺さんではなく、遠出をしようということになり、かつてより狙っていた、一休寺、浄瑠璃寺へ向かったわけです。


場所は、京都府の端っこのほう、京田辺&木津。
京都というか奈良というか大阪というか、そのあたりの境目にありましてですな、この3県のどの地図を見ても端っこに載っているような、どっからも行きにくい場所にあるんですわ。

でも、このあたり、いいお寺さんが集中していることもあって、まえまえから目をつけてはいたんですよね~。
地図を見ただけでね、インパクトのある名前のお寺さんが多いんですよ。
一休寺、浄瑠璃寺だけじゃなくて、神童寺、蟹満寺、観音寺、禅定寺、海住山寺…、なんか、そそる名前が多いでしょ。

今回は、一休寺、浄瑠璃寺をメインに、残りは行けるところまで行こう、と。
結局、この2つしか行けなかったけれども(笑)

んで、今回は、オレとしたら極めて珍しいのですが、デジカメ持参してみました。
昨年末に新調したデジカメ、じつはまだ一度も出動させてないんですよね。なので、仕事で使うまえに試運転しておこう、ということで。いや~、撮りまくってしまいました(笑)


まずは、一休寺から。

はい。ご想像のとおり、あの一休さんが草庵し、晩年を過ごしたお寺さんです。
梅がキレイですね。



一休さんといえば、反権威主義者であり堺の商売人とも交流を持ち、およそ僧侶らしくない魅力の素敵な人ですが、そうでありながらも、大徳寺の住持にも登りつめた、魅力的な人。
なので、晩年を過ごした山寺である一休寺は、こじんまりとしたお寺さんかなあ、と、勝手に想像していたんですわ。
そしたら、行ってみたら、結構大きな伽藍で。ちょっとビックリしました。



オレの大好きなお寺さん、奈良の秋篠寺に、どことなく雰囲気が似ていて、このお寺、いっぺんで好きになりました☆ でも、しょっちゅう来るには遠すぎるんですけどね。。



メインは方丈ですが、北庭南庭とも素晴らしいです。
北庭は白砂の庭。形式からいって、江戸初期の作庭やと思うんですが、これは未確認。
白砂にサツキのよくある組み合わせですが、極端に抽象化されていないところが、オレの好みにぴったり合ってました。つまり、ほどよく植物が配されているんですわ。サツキに山茶花、ソテツなど。なぜかヤシの木までが植えられているのにはビックリしましたが、それでも、上手く馴染んでるし。
借景となっている山はまったく知りませんが、空と借景のコントラストも鮮やかで、見ていて飽きないお庭です。
一休さんって、禅を極めるタイプ、つまり狂気の人ではなくて、あくまで俗世の垢にまみれたなかで生きようとした人やと思うんですが、極端に抽象化されていないお庭、ある意味、中途半端ともなりかねないこのお庭を見て、一休さんの人間性がよく出てるなあと思いました。うん、好きな庭です☆

んで、ここ、来にくい場所にあるせいもあって、参拝客が、あんまり、というか、ほとんど来てませんでした。
おかげで、お庭を眺めながら、縁側でなんぼでも寝っ転がれます!
ましてや、この日は、冬とは思えない陽気。
もうね、これが至福のときでして。オレはこれを楽しみに神社仏閣を巡っているといっても過言ではないですからね。
趣味、お寺さんの軒先でお庭を眺めながら昼寝、ですから。

ちなみに、寝っ転がってお尻を向けている先には、狩野探幽筆の襖絵を配した部屋がいくつかあり、一休禅師木造が安置されてます。
この木像、重文なんですが、なんやしらん、フラッシュ焚いて撮影しても、なにも言われませんでした。こんな太っ腹なお寺さん、知りません。もっとも、光量が弱いのと、遠かったのとで、上手いこと撮影出来ませんでしたが。。。ちなみにこの木像、頭髪は実際の一休さんのものが植え付けられているとのこと。

方丈の東側には庭石と刈り込みを置いて十六羅漢を表現、北庭は石組だけで蓬莱山の瀧から水が流れ落ちて海へ流れるさまを表現してます。
つまるところ、この方丈には、北、東、南と3面で庭がしつらえられているんですが、あんまりないですね。4面も少ないですが、3面でも、なかなか贅沢な趣です。





この方丈以外にも伽藍はたくさんあるんですが、書院や東司、本堂など、ほとんどの伽藍は未公開。でも伽藍と伽藍を繋いでいるお庭は結構広くて、散策して楽しめますわ。



途中、後付けでしょうが橋がしつられてあって、「このはしわたるな」の立て札が…。そう、あの、一休さんのとんち話に出てくる、橋を端に読み変えて難題解決を図る、あの橋がありました(笑) 親しみやすさを持たせようとの配慮でつくってあるんでしょうが、こんな媚びは要らんねん!(笑)





媚びといえば、アニメの一休さんの絵ハガギが売られていたり、セル画が展示してあったり、商魂逞しいというかんじではないんですが、どーも、媚びてるような印象が(笑)
そのあたり、興醒めなんですけどね。



そうそう、最後に、一休寺納豆をいただきました。
大豆をむしろで蒸す、それを常温で干す。
はったい粉と麹を混ぜて寝かせ、発酵させる。
塩水のお湯のなかで、さらに発酵させる。
この行程で1年間かけてつくってるそうです。一休さんのころからつくってるんだとか。
それとお茶をいただきました。塩味が利いていて、お茶受けによくあいますな。
拝観料500円だけですから、安いです☆





さて、一休寺を堪能して次に向かった先は、浄瑠璃寺。途中、蟹満寺があるんで、名前のインパクトに惹かれて向かったんですが、山道で完全に迷ってしまい、断念しました(笑)

なので、一路、浄瑠璃寺へ。

ここはもう、写真集かなにかで見て以来、行きたくて行きたくて仕方がなかったお寺さんですわ。
まず、名前が、美しい。浄瑠璃のお寺ですからね。
んで、写真で見たかぎり、本堂がかなりスタイリッシュ。余計なものが一切省かれているフォルムに惹かれまして…。
今回、念願叶って行ってきましたですよ。まあ、遠かったですけど…。

んで、着いたのが3時くらいやったんですが、じつはお昼ゴハンがまだでした。
今回は、久方ぶりに相方さんがお弁当をこしらえてくれたのですが、食べる適当な場所が見つからなくて。木津川に沿って車を走らせてきたものの、いい場所がなかったんですよ。
なので、浄瑠璃寺の駐車場で、食べたんですけどね(笑)
ちなみに、シートを持ってきてなくて、駐車場の管理人さんが、シートを貸してくれました。

さて、浄瑠璃寺。

参道がいいかんじです〜。



このお寺さんは、西方九体阿弥陀堂と東方三重塔の2つの伽藍で構成されてます。あいだに、浄土式庭園を挟んでますが、それだけです。

どちらも藤原時代建立の建造物で、宇治の平等院と同時期の、古い古い建物です。一度も焼失してませんから、正真正銘、藤原時代のものです。

で、西方九体阿弥陀堂。





この、平べったくもスタイリッシュなフォルムを持つ西方九体阿弥陀堂は、文字通り、9体の阿弥陀如来さんを安置するためだけに建てられた建物です。そういう建物としては、現存する唯一のものですね。
中に入ると、ずらずらっと9体の阿弥陀如来さんが横並びで鎮座されている風景は、圧巻です。
両脇を持国天、増長天、不動明王三尊像の四天王メンバーが固め、9体の阿弥陀如来さんのあいだには、吉祥天女さん、大日如来さんがおわします。もっとも、吉祥天女さんと大日如来さんは秘仏で、この日は見れませんでした。

翻って、浄土庭園の池を挟んで東方に眼を向けると薬師如来さんを祀った東方三重塔があります。



これはね、なかなかありがたい配置ですよ。

少し解説を加えておきますと…、
薬師如来さんは過去世から送り出してくれる仏さんでして、過去の因縁や苦悩を超えて進むための薬を与えてくれる仏さんです。オレたちを送り出してくれるんですが、その仏さんが、太陽の昇る東に安置されています。
一方で西には、9体の阿弥陀如来さん。
阿弥陀如来さんは、阿弥陀如来さんは理想の未来にいて、そこへ向かって進むオレたちを受け入れ、向かえてくれる、来世の仏さん、未来仏なんです。その仏さんが、西方浄土(極楽浄土)のある方向である西に、ちゃーんと安置されている。
だから、
仏教では、東は過去(苦悩)、西は未来(理想)なんです。この2つの真ん中に位置する浄土式庭園の池は、ですから、東を此岸、西を彼岸としているわけです。東の薬師、西の如来、ってわけです。

薬師さんに遺送されて出発し、この現世へ出て正しい生きかたを教えてくれた釈迦の教えにしたがい、煩悩の川を越えて彼岸にある未来を目指して精進する。そうすれば、やがて阿弥陀さんに迎えられて西方浄土に至ることが出来る、と、こういうストーリーが、このお寺さん全体で表現されているわけです。

彼岸から此岸を目指すんですが、あいだにあるのは、浄土式庭園。

これはもちろん、極楽浄土を表したもので、宇治の平等院にある庭園と同じ意味合いを持ってます。

だから、なんで浄瑠璃寺なのよ、浄土寺でいいんじゃないの?って疑問があったんですが、住職さんにお聞きして納得しました。
このお寺さんのご本尊は、東方三重塔に安置している薬師如来さん。そして、薬師仏の世界では、浄土のことを浄瑠璃と表現するらしいのです。なので、こちらのお寺は浄瑠璃寺。

んで、そうしたお話を伺い東方三重塔に行った折り、このなかに祀られてるご本尊の薬師如来さんが、ご開帳されてるんですよ。普段は、秘仏です。毎月8日、彼岸の中日、正月3ヶ日のみのご開帳らしいのですが、なんと、訪れた日は、掃除の日(笑) 運よくご開帳に居合わせたわけです。しかも、通常のご開帳では開かない、横の扉が開いてまして。いやいや、珍しいものを拝みましたですよ。



写真で見るかぎりでは、吉祥天女像がなかなかふくよかでよろしいのですが、こちらもまた秘仏。拝むこと叶いませんでした。
さらに、せっかくの浄土式庭園も、冬のあいだは、草花もなく…。
関西花の寺霊場にも数えられるほどのお寺さんなので、桜、アヤメ、カキツバタ、紫陽花、桔梗、萩、紅葉…と、季節が季節なら、色とりどりに咲き乱れてくれて、それこそ浄土の世界が展開されるんですけどね。

あ、でも、馬酔木が咲いてました!



また時季のいいときに、他の仏さんのご開帳も狙いつつ、リベンジします~。