2006-11-29

この冬、大原の奥を狙ってます


雪月花、という言葉がありますな。

万葉集の大伴家持の和歌に出てくるし、枕草子にも村上天皇の一節に挿話されていたように思います。

季節を代表する雅景の最初に、雪が置かれています。ゆき、という発音の清らかさも、その白い結晶にふさわしい。古人の美感覚が、美のもっとも高い存在を清浄としたことが、雪への尊敬になったのではないだろうか、と、思うのです。
美しさは、さまざまにあります。
あでやかな、はなやかな、うるわしい魅力から、あやしい妖艶、魔性の美まで。それこそ、かぎりなく。

そんななかで、浄といえば、雪です。

京都の冬は、どことも違う美しさがある。少なくとも、大阪の冬とはまるで違う。よく冷え込む盆地のせいでもあるだろうけれども、ふと、しんしん、しんしんとあたりの深く静まる気配に外に眼を向けると、雪が降っていることが、よくあります。

京盆地の気象は、ほんの少し場所が異なるだけで、雪の模様が違います。北限はほとんど北陸なみの豪雪となり、そのとき南限には雪が降らなかったり、雪みぞれだったりします。

ずいぶんとまえに、大原三千院の瑠璃光庭の雪を見にいったことがあります。裏の音無滝を聴きに、また大原の里を彷徨いに足を運んだのだけれど、折りからむっくりと積もった雪に、薬師如来の浄土を表現する宸殿前の庭の、雪保ちの杉の大木が、はっとするような美しさで根をおろしていました。

ここは、懺悔の懺法道場です。
余分な雑念は振り捨てて、自分の裡に渦巻く諸悪を自浄する積極的な懺悔、懺法。
そう出来れば、どんなにか清々しかろうと夢想します。自分の悪から離れることが出来たら、どんなにか、自由は輝くのだろうかと思うのだけれども…、
けれど、なかなか、そうはまいりませぬ。
せっかくの自由が、みっしりと諸悪に満たされて、自分ばかりか他の存在を苦しめているのが実態ですな。そして、やがては逝く。お迎えの阿弥陀三尊が柔らかく座っておいでの往生極楽院に、ひっそりとこちらも座って、雪灯りの阿弥陀を見つめていたのでした。

オレは、不自由さを抱えながら、ジタバタと格闘しているほうがいいわ、と(笑)

京は遠近を美しく、借景の知恵に活かされてます。とくに、北山、東山、西山を背景として造られた庭にとって、雪の降り積もった山の稜線は、雪の醍醐味とでも言いたいものです。
山はむかし、濃い自然の霊気を放つ神秘をたたえた聖地だったはずですが、ところがどうです。互いの視界を大切にしあってきた借景の約束は、現代の利益追求の景観変化で大きく破壊されてきました。見たくない風景が、京のあちこちに進んで、さて、どうなるのか…。

雪は、すっぽりと荒れた山をも町をも包み、雪の日に名庭を訪れた人々の心を和ませます。木立も、石も、土も雪に覆われて、池の水面が半ば凍っている。そんな寂光院のさびしさは、他では得られません。

大原よりさらに北に小高い、古知谷の阿弥陀寺へは、まだ行ったことがありません。
農民自身の発見した修行の弾誓上人を開基として、村人集って一寺を建立したという阿弥陀寺には、石窟が多く、行場としていたようです。行とは寒も通してのことだろうから、その厳しい様子が偲ばれます。

この冬、大原の阿弥陀寺に行ってみようと思っています。
さらにその先、これ以上はないとまで言われた、渡岸寺(向源寺)の十一面観音菩薩立像とのご対面を果たしたいと、考えています。
んで、さらに、相方さんがもうすぐお別れする職場、ルッカのおばちゃんに、月心寺の精進料理を食べにいこうと、誘われたのでした。


ちなみに、雪深い京都奥深いの景色を音楽にすると、こうなります。


ASA-chang & 巡礼 / 花

2006-11-19

毘沙門堂の、手前まで行く


その日は、相方さんと、たまゆらの逢瀬を楽しむ予定だったのですよ。
もちろん、京都神社仏閣巡り♪

そもそも、相変わらずオレは仕事が忙しくて相方さんのケアを放ったらかしにしていて、それはそれでいつもスマン!スマン!スマン!スマン!スマン!スマン!と思っているのですが、木曜日はなにがなんでも空けておくよーに!とのお達しが相方さんから出ましてですね、空けたんですよ、こないだの木曜。

そしたら、相方さん、午前中は仕事が入ったから、昼からどっか行こう!と。
へい、わかりました。

で、木曜の昼13時、待ち合わせ場所である、彼女が働くカフェへ。ちなみにこの日、相方さんはここでは働いておらず、ニット教室の講師の仕事をしていたのですよ。

そっからですわ、待てど暮らせど、相方さんはやって来ません。そして、メールだけがオレの携帯にやって来る。
「ごめん、あと1時間くらいはかかりそう」
「まだ仕事が終わりません!」
「まだ終わらんよ~」

この日、オレは、山科の毘沙門堂へ行く計画を立てていたのでした。
山科にある、桜の名所で名高いお寺さんです。

京都の市街地からは外れていて、ほとんど滋賀です。
でも、地下鉄が走っているから、京都市街地からでも30分足らずで行けちゃうんです。
でも、京都市街地じゃないから、絶対に空いているだろう、と。
この時期、京都のお寺さんは、どこもかしこも人でいっぱいですからね。
それに、です。
ここは山寺なので、桜の名所とはいえ、紅葉だってあるだろう、と。

というようなことをね、ビシッと計画していたのですよ。綿密な計画をビシッとね☆
それが、だ。
相方さんが丸い顔をさらに丸くしてやって来たのは、結局のところ、15時47分11秒36。。。。
そっからダッシュで行っても、到着は16時すぎ。
お寺さんはこの時期、16時30分閉門だし、無理言っても17時だし、到着するのが精一杯で、ノンビリどころの話ではありません。

大体、丸い顔をさらに丸くして、この日のスケジュールを空けておけ!と言ったのは、相方さんなのに!(笑)

それでもね、一応は向かったんです、毘沙門堂に。
上手くいけば、16時すぎに着いて、17時までいても1時間弱はありますから。

ほいで、地下鉄の市役所前駅までダッシュして、そっから地下鉄に乗って山科駅に到着したのが、16時すぎ。電車がすぐに来なくて、思ったより時間がかかってしまいました。
駅から歩いて15分くらいだって聞いていたので、これだと到着が16時30分くらいになっちゃいます。普通だと、閉門の時間です。。。
それでもまあ、行くだけ行ってみようということで、向かったわけです。

ただーし、駅から反対の方向に向かって歩いていたことに気づいたのは、16時45分くらいのこと。。
ったく、誰が間違えたんだ? オレか? 相方さんか?
オレは大阪の人間で、相方さんは京都生まれの京都育ちの土地勘もあるはずの生粋の根っからの丸顔の京都人。
なので、ここは間違いなく、相方さんのせいです☆
ただし、相方さんは、どの山を見ても、比叡山!とのたまう人でもありますが(笑)

もう諦めました。
どっちも昼飯すら食ってないし、ここらでブレイクタイムです。でも、晩ゴハンも迫ってるし、微妙な時間。結局、パンを買って食べましたけどね。
ほいでから、トボトボと駅へ。
でも、なーんかこのまま帰るのは悔しいんですよね。

そんなわけで、まだ日も暮れていないので、再度、毘沙門堂を目指すことに(笑)
ちなみに、17時はすでにまわってます。。。

駅からの道は、閑静な住宅街です。京都市街地ほど地価が高くないからだとも思うんですが、どこも家がデカい。
で、山の麓なので、樹々がいいかんじで繁ってるんですよね。住宅地といっても緑が多いせいで、無機質なかんじが全然しません。歩いていて、気持ちがいいくらいです。
途中、川がありましたが、よく見たら疏水でした。南禅寺で有名な疏水と繋がっている、琵琶湖からの疏水です。たぶん、春だと桜がキレイなんだと思います。
いや、ここはいいところですわ。

山門まで行ってみると、やっぱり閉門してましたが、山の麓から山門までが長めの階段になっていて、両サイドは紅葉です。まだ三分程度の色付きですが、かなりいいかんじです。しばらく、階段に座って、ボーッとしてましたよ。
山一帯にいくつか神社やお寺さんがあって、ぶらぶらと歩いてまわるにはかなりいい場所でした。

山門から中に入っていないので今書けることはほとんどないんですが、ここはどうやら門跡のようです。
といって、皇室の誰が出家したのか、まだ調べてないですけど。
創建が奈良時代で、毘沙門天がご本尊らしいのですが、毘沙門天って、仏さんの系列からすれば傍流(四天王の中心ではありますが)ですから、なぜご本尊に納まっているのか、ちょっと興味があります。
あと、狩野益信の障壁画があるのだとか。

京都市街地から離れているくせに(必然的に空いてる)、すぐに行けるというのが、かなり魅力的です。
近いうちに、リベンジします。次こそは、山門突破(笑)

そして夜は、京都市内に戻って、久しぶりのお気に入りのカフェで、ローストポークと海鮮サラダとオムレツを食べたのでした。

あ、新作、「テポドン」「オゾン層」を相方さんに披露。これは「マイナスイオン」の続編なのですが、なんのことかさっぱりわからない方は、相方さんに聞いてくださいませ。



速報! ガトリフの新作『トランシルヴァニア』、すでに完成してます。日本公開は、来年のいつかな?
かなりかなりかなり、期待してます☆


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これ、予告編です!

2006-11-10

何年かぶりに哲学の道を歩いたのだが…(銀閣寺、法然院、安楽寺)

なんか今月は、妙に忙しくて、日記を書くのもままならず…。
先々月から先月にかけて割り込んできたイレギュラーの大バカヤロウな仕事のせいで、今、しわ寄せが来てるんですわ。
しかも、息抜き&気分転換にはじめた相方さんのサイトのデザイン・リニューアルがおもしろくなってしまって、そっちにも深入り中…。いや、そんなことをやってる場合じゃないんですけどね。まあ、かくも人生は、ままなりませんな。

さて、そんな折り、こないだの日曜日にですな、銀閣寺から南禅寺にかけて、いくつかのお寺さんを参りながら、哲学の道を歩いてきたのですよ。
といっても、いつもように相方さんが同行しているわけではなくて、オレをとりまくご一行さまは、妙齢の、トウの過ぎたオバァばかりが20人強(笑)
いろいろとわけあって、とある婦人会のご旅行を引率するハメになってしまったのですよ。

ま、その顛末と詳細はここに書くには問題がありすぎるので省くとして、今回は、普通に京都の神社仏閣巡り日記を。

思い起こせば、京都の神社仏閣を巡るスタンプラリーは、たしか、南禅寺から哲学の道を北上して銀閣寺に至るルートを歩いたのが、最初だったのでした。
それが7年か8年か前のこと。
そんときに見た銀閣寺のあまりのしょぼさが目に焼きついているせいもあって、今さら銀閣寺なんてどーでもいいんです、本当は。


えーっとね、肝心要の観音殿(銀閣)がね、しょぼいんですよ。建設当時に銀が塗られていたのかどうかについて諸説あるとして、すくなくとも漆は塗られていたのははっきりしているんだから、それくらいは修復すればいいのに、と思います。まさか、敗者のモニュメントってわけでもないでしょうに。観光用の写真じゃ、そこそこ見栄えがするように撮影してますが、実物はね、ただのボロ屋ですからね(笑) あんなの、ほんとにどーでもいい。
ただ、ここには銀閣以外に見どころがいくつかありまして、今回、オレとしてはそっちをメインに見てました。
ここは、やっぱり庭ですね。庭に尽きると思います。
まず、銀沙灘。花崗岩が風化した白川砂を使って、湖面の波打つさざ波が表現されているのですが、はっきりいって日本美術史上に残る前代未聞のオブジェだと思いますよ。
禅の精神である極限までの抽象化でもなく、自然の模倣でもない。入口までの銀閣垣といい、とっても人工的な匂いのするオブジェなのですが、それにしても異様な迫力があります。
むかし、写真で、月明かりに照らされる銀沙灘を見たことがあるんですが、それはそれは幻想的な風景でして。だから、一度はナマでそいつを見たいと思ってるんですが、銀閣は夜間拝観をやってないんですよね。なんとかならんのかな…。



銀閣の庭は、この銀沙灘からはじまって、池と池を包むようにして背後にある小山を縫って歩くように設計されているのですが、このプロセスは、わび・さびそのもの。山茶花があり椿があり紅葉があり、南天がある。いかにも、という風情があります。京都と聞いて一般の人が思い浮かべるイメージは、ここに集約されているといってもいいかもしれません。

ただ、これはもうどうしようもないですが、人が多すぎですわ。
人が多すぎると、ところかまわずおしゃべりに夢中になる集団はどこにでも現れますから、もう、風情も鑑賞もへったくれもありません。それさえ解消されるのなら、年に1度くらいは訪れてもいいんですけどね。


で、次に行ったのが、銀閣寺から哲学の道を南下してしばらく歩いたところにある法然院




山寺になっていて、いいお寺さんなんです。ここの本堂から庭を眺める濡れ縁で、まだ無名だったころのつじあやのちゃんが、よくウクレレを弾いてました。そういう、ノンビリした雰囲気を堪能出来る、オアシス的な場所なんですよ。なんですが…。

さすが、哲学の道のすぐそばにあるだけのことはありますわ。それにくわえて日曜日。もうね、ここもやはり、わびもさびもへったくれもなにもないですよ。
雑踏とおしゃべりで、全部、台無し。やっぱ、お寺さんは日曜に来るもんじゃないですわ。
ところでここの住職さん、結構、メディアに出てますね。境内でライブやったり、そういうのがお好きみたいで。進歩派っていえばいいのかな。今回も、ある画家の油絵展が境内で行なわれてました。
えーっと、山門をくぐってすぐのところに、銀閣の銀沙灘をもじった白い盛り砂がありました(笑) ご丁寧に波模様まで真似たうえに、紅葉の絵まであしらう念の入れよう(笑) そこまでやると、進歩派でもなんでもなくて、単なる商売人ですわ(笑)

ま、法然さんはどう思っているのか知りませんが、時代を経ると、いろいろあります。
ちなみにここ、庭を観るだけなら、拝観料がいらないんですよね。山門をくぐるとすぐに拝観料を徴収するのが一般的ですが、ここは、本堂に入らないかぎり、無料。善意に解釈してもいいんですが、イベントやって儲けたり、檀家で儲けたりしてるんでしょうか?(笑)

最後に行ったのが、安楽寺



これも、法然院から哲学の道を少し下ったところにあるのですが、ここ、アタリでしたわ。
普段、一般公開してないお寺さんです。なので、あんまり知られてないんでしょうね。今回まわったお寺さんのなかで、唯一、閑散としてました。
山門に至るまでの道は、両脇を紅葉が彩っていて(…って、オレたちが行った時期は紅葉に早すぎるので、まだ青々としてましたが)、絶妙のわびとさびの雰囲気を醸し出してます。いや、まじでここはいいです。
そう思っていたら、けっこう、商業用にその写真が使われているのでした。どーりで見覚えがあると思った。
でも、普段は参拝付加のお寺。なので、この時期、一般公開されていても、あんまり人が来てないです。普通、こういう場合は特別公開となるので、人がわんさと来るもんですが、ここはなぜか閑散としてます。あんまり宣伝してないんでしょう。
あ、でも、夏の風物詩でもある、中風マジナイの鹿ヶ谷カボチャ(瓢箪型のカボチャですね)の炊き出しは、このお寺さんで行なわれてますから、知ってる人は知ってるんでしょうね。

松虫姫と鈴虫姫の出家物語など、いろいろと興味深い縁起を持っているお寺さんではあるのですが、それについてはサイトを参照していただくとして、ここは庭がいいですね。
本堂の奥から見る、障子戸に切り取られた庭は、もう、一幅の絵です。椿が全面に配されている枯山水の庭なのですが、今の時期でもじゅうぶんに楽しめます。千両や山茶花が咲き乱れていて、何時間でも眺めていられます。

ま、それでも悲しき引率者の身。オバァの面倒見てばっかりで、そんなゆとりはこれっぽっちもありませんでしたが。ここは次回、もっかいゆっくりと攻めます。問題は、次の公開を見逃さんことですわ。


それにしても…、
哲学の道は、もう、どうしようもないですな。人が多すぎ。その人を当て込んだ出店も多すぎ。
疏水沿いを歩きながら思索を巡らせた西田幾多郎は、もはや、ここにはいません。