2007-08-30

永遠と一瞬は両想い(随心院門跡)

京都は山科あたりへ仕事で行ったので、これ幸いとばかりに、お寺さんに立ち寄ってきました。
山科から醍醐にかけては大ゴマのお寺さんがそろいまくってる黄金地帯なのですが、ちと遠くて、なかなか行けてません。
なので、ちょっとの隙をついて、今回、ひとつだけ行ってきました~。

行ったのは、随心院門跡


梅園が有名、ということ以外にはなーんも知らずに行ったんですが、ここは小野小町さんが晩年を過ごしたお寺さんなのでした。
醍醐の山の麓にある山寺なのに、ものすごく広くて、どことなく御所に似ていて、格調の高さを思わせます。門跡というのは、皇室出身者が出家し、構えたお寺さんのことですから、格調が高いのもさもありなんなのですが。
ただし、小野小町さん自体は皇室の人ではなくて、貴族出の宮使い。仁名天皇の寵愛を一身に受けた人ですから、扱いとしては、皇室の人間同様だったのでしょう。

で、小野小町さんから連想するんですが、ここはね、小さな御所といった趣があります。
参道が広々としているところも御所を連想させるし、景色がね、計算されまくってますわ。いち山寺でね、こんなにも広々とした参道を持っているお寺さんって、なかなかないですよ。

10個近い堂宇があるので、そのぶん、やはり山門が10個近くあります。
で、山門によって切り取られた風景がね、ことごとく美しくて、どれもこれも、一幅の絵のようです。

醍醐の山を借景にしたり、構図のなかに収まるように松を植えてあったり…、とにかく、これでもかというくらいに計算され尽くしています。

苔むした庭も立派だし、梅園があり、襖絵は三十六歌仙が描かれ…、お寺さんというよりも、名勝庭園のような趣です。

小町さんに思いを寄せる深草少将から寄せられた手紙が埋められているという、千束の文塚。
小町さんがこの水を使って毎日メイクしたという、化粧の井戸。
深草少々の百夜通いの折、小町さんがカヤの実を糸に綴って数をとり、あとにその実をこの地に撒いたものが育ったといわれる、カシの大木。
多くの人たちの手紙を下張りに使ってつくられたという、文張地蔵尊菩薩。

ここは、婦女子さんが喜びそうなアイテムが満載です(笑)
あまりに艶っぽいお寺さんで、お寺さんには似つかわしくない縁起が満載です。

そういうことを思いながら、山門に切り取られた風景を、しばらく眺めていました。

山門に囲まれた四角を額縁に見立てて、その額縁に切り取られた風景を見せるのだから、これは、計算されまくっているわけです。この景色を見よ、と、あたかも写生された一幅の絵であるかのように、そこに飾られているようですら、あります。

その風景を見ていると、オレは、いつも、アンドリュー・ワイエスを思い出します。
彼の描く風景画は、どれもセンチメンタルが溢れていて、そのことを指して、彼は、
私の絵を見てセンチメンタルだと感じる人がいたとすれば、それは、私が、この美しい風景がいつかなくなってしまうことを知りつつも、なくなってくれるな!と思って、描いているからだ、というようなことを言っています。

そのことをね、いつも思い出すんですよ。
ましてや、随心院の山門に切り取られたものは、絵ではなくて、風景。
変わっていくもの、移ろいゆくものでもあります。
風景は移ろい、作庭者が当初考えたものとは、変わっていきます。そしてもちろん、そのことの虚しさ、自分ですべてをコントロール出来ないことの虚しさを、作庭者は、知っています。
知りつつ、それでも、借景を取り入れてしまうのは、なんなんでしょうね? 業なのかな?

ひとときとしておなじ表情を見せない風景を切り取り、かつ、切り取ることでそこに永遠を見いだそうとする作庭者の、自身ではコントロール出来ない、何者かに委ねたその姿勢の潔さがね、オレは好きだったりもします。潔さ、というよりも、儚さ、なのかな。

一瞬と永遠がね、同居しています。
山門に切り取られた風景を眺めていると、いつも、そういうことを思ってしまいます。
ここ、随心院門跡は、そういうことを感じさせてくれる山門が、たくさんあります。


庫裡の入口です。松の姿勢のよさに惚れ惚れしてましたが、屋根の上の櫓もいいかんじです。


塔頭のひとつ、大乗院の山門。端正です。


本堂の大玄関から山門を見た図。山門に切り取られた風景が絵のようです。


山門に切り取られた得ような風景をアップで。


中庭です。苔が立派なんですが、この夏の暑さで元気をなくしていたのが惜しいです。


本堂と薬医院のあいだにある庭です。手前が本堂。


入母屋式が見事です。


薬医院の山門から見た梅園です。これもまた一幅の絵のようで。つつじがいいです。


本堂です。仏壇正面は、文張地蔵尊像、左が卒塔婆小町像です。


三十六歌仙がすべて描かれた襖絵。


こういうのも絵になりますね。


梅園横の参道です。御所のように、広々としています。


梅園から大玄関を臨みます。背後の山は、醍醐山。


大乗院の山門に切り取られた風景。これまた一幅の絵ですね。


総門へ至る参道。ここも絵になりますね。


こういう参道をくねくね歩いて、寺域を進んでいきます。


薬医院の山門から本堂、その後ろに醍醐山。

2007-08-23

妖怪電車に乗って妖怪になる

京都市内の大宮というところから嵐山にかけては、京都に都が移ってくるまえから開けていた場所で、京都でも最も古いエリアです。
京都の水を司る龍神が住む場所であるともいわれ、冥界に通じる入口でもあり、今でこそ市街地からは外れますが、そのむかしは、京都でも最も重要で神聖な場所なのでありました。

そのエリアを、京福電車というレトロな電車が、走っています。
京都市街地と嵐山を結ぶので、通称、嵐電。
駅名の読みかたが日本一難しいとも言われている路線ですね。

四条大宮
西院
西大路三条
山ノ内
蚕ノ社
太秦広隆寺
帷子ノ辻
有栖川
車折神社
鹿王院
嵐電嵯峨
嵐山

さあ、関西圏以外にお住まいの方で、すべて正しく読める方は、いらっしゃいますかね?(笑)

さて、この嵐電、このエリアを走っているだけあって、この時期、妖怪電車なる電車が走るのですよ。


車内は妖しく青に染まり、不気味な音楽が流れ、ところどころでボーッと鈍く光っていたりするのですよ。
「千と千尋の神隠し」で、千尋が銭婆を訪ねてカオナシと一緒に乗る電車よりも、はるかに怖いですよ。
しかも、これ、普通に夕方に走ってますから(笑)

で、これは乗らねばならん!と、オレ、相方さん、aikaさんの3人で、急遽、乗車と相成ったわけです。
わけですが、サイトをよく見てみると、
大人200円子供100円と、通常の運賃なのですが、なんと、妖怪50円!

妖怪だと50円で乗れてしまうのですよ☆
これは、妖怪になるしかないではないですか!(笑)
もうね、子供、泣きまくりですよ(笑)

京都市側の始発駅、大宮駅。なかなかレトロな駅です~。電車も1両だけ。


途中から路面電車になります。これは、普通に道路で信号待ちする嵐電(笑)


ときどき、バスに抜かれます~(笑)


終点の嵐山駅。ここは駅のホームに足湯があります。有料150円。寒くなったら行こう☆


いよいよ妖怪電車が入ってきました☆ 普通に、通勤時間に走ってる電車なんですがね(笑)


でも、一応、臨時電車扱いです。


この電車は、妖怪さんは50円で乗れます。


乗り込んでみると、なかは、妖しい真っ青です。


オレたちは妖怪になって乗り込みました。50円の運賃のために、1個500円のお面を購入してます(笑)


妖怪の出現に子供たちが怯えてます(笑)


妖怪を怖れて、妖怪の周囲には妙なスペースが出来ました(笑)


左がatricot妖怪、右がaika妖怪です☆


atricot妖怪が、ちびっこたちを襲ってます!


怖がってお父さんのところに逃げるちびっ子…。


車内は真っ青。吊り広告はすべて妖怪知識ネタで埋め尽くされ、夜光塗料で妖しく光ってます☆


ときどき妖怪が乗っていないというクレームがあるらしいです。今日は大丈夫だったはず(笑)

2007-08-22

だるまの次はおかめ(笑)(千本釈迦堂)

だるまの次はおかめです(笑)

こないだ、だるま寺に行ったときは5軒ほど神社仏閣をまわったのですが、だるま寺の次にヒットだったのが、千本釈迦堂ですね。

千本釈迦堂。正式には、大報恩寺。

千本通りの近くにあって、釈迦如来をご本尊としているので、千本釈迦堂。
ちなみに、千本通りの名称は、平安時代に供養のための卒塔婆が1000本立てられ、それに平行して1000本の桜が植えられたからということになってますが、今では、卒塔婆も桜もなく、ま、どこまでほんまの話か?ってかんじですが。

京都のお寺さんというのは、創建当時から焼けずに残っているところってほとんどなくて、木造だから焼失しちゃったものもたくさんあれば、応仁の乱で大半が焼けちゃったりもしているので、今現在あるのは、どこも、なんらかのかたちで再建されたものばっかりです。

でも、この、千本釈迦堂の本堂は、数少ない、創建当時のものでして、鎌倉時代初期からの姿をそのまま残しています。その価値もあって、本堂自体が国宝なのですね。

なので、それなら見たいじゃん!って、わりと胸躍らせて行ったのですよ。
事実、それがウリだし。

上七軒の色街(もはやその面影もないですが…)から六叉路のうちのひとつを北に進むと、細い直線の路地が続いていて、その突き当たりに、あります。
思いっきり町中にあって、それこそ庶民のためのお寺さんなんですが、この道を歩いているとね、次第に境内に近づいていくのが、寺参りの期待感をちょっと高めてくれます。

で、小ぶりの山門を入ると、正面に、でーんと、本堂(釈迦堂)がありますわ。これが、噂の国宝建造物。
なかなか立派な入母屋式の本殿なんですが、大瓦屋根じゃなくて桧皮葺きの屋根なので、でっかくても威圧感がなく、むしろ軽快さがあって、まさに、庶民のためのお寺さん!ってかんじです。

創建が鎌倉時代初期の1227年ですから、当時の流行である浅いカーブを描いた屋根のフォルムが素敵です。オレ、この時代の屋根のフォルムがかなり好きなので、これはちょっと見とれてしまいました。

さて、千本釈迦堂といえば、おかめです。
本堂横にも、おかめ塚なるものがあります。

でも、なんでおかめなんでしょうか…。
縁起を見るとですな、こんなことが書かれてました。

なんでも、本堂を造営の際、棟梁が、柱の寸法を間違って短く切っちゃったらしいんですよね。でも、この柱の材木は、信徒が寄進してくれた貴重な木材で、そのことで棟梁は大変苦慮していた、と。
んで、そんな棟梁を見かねた奥さんのおかめさんがですな、いっそのこと、枡組にしてしまえば!と、提案したんですと。
大黒柱にして点で屋根を支えるんじゃなくて、細かい木を枡のように組んで、点じゃなくて面で支えるようにすればいいでは、と。
このアドバイスのおかげで本堂は無事に建立なり、上棟式も行われたのですが、おかめさん、上棟式を待たずして自害してしまうのですよ。
夫である棟梁は大任を果たして名声を上げたのですが、そこに妻の助言があったと世間に知れたら棟梁の名に傷がつくので、それを怖れ、この身はいっそのこと夫の名声に捧げましょう!と、自害。。。。

そんなんで死んじゃったら、かえって、妻に助けてもらった夫として、大々的に世間の知れるところになるような気がせんでもないんですが、まあ、美談になってます。

そんなこんなで、おかめさんのお寺さんでもあるわけなんですが、やっぱりありましたですよ、おかめのコレクションが(笑)
だるま寺といい、どーも京都のお寺さんは、コレクションに走る傾向がありますな…。

このお寺さんも、あっちゃこっちゃに、おかめさんが出没してます(笑)

ちなみに、おかめさんは、漢字で、「阿亀」と書くんですが、亀は幸運を運んでくる動物なので、福々しい名前ですね。お多福さんと同一人物で、これが、その当時のベッピンさんですわ。

町中なので間口は小さいですが、国宝です☆


立派な枝垂れ桜。おかめは、「阿亀」と書くんですね。知らなかったですが、当て字かも


この本堂が国宝です。京都最古の木造建築物。


おかめさんと相方さんのツーショット。そっくりです(笑)


屋根のフォルムがたまりません☆


賽銭箱の横にも、おかめさんがひょっこり☆


やっぱり、募集に走る…。おかめさんだらけです。。。


まだまだおかめさんが…。


なんぼでもいます~。


こんなおかめさんもいます~。


お面もたくさんあります~。


本堂内には、おかめさんの石像がありました。たぶん、撮影禁止(笑)


ボケ封じの観音さんもいらっしゃいます。


ボケないように、オジィとオバァが観音さんにすがってます~。

2007-08-19

だるましかない…(達磨寺)

1週間以上奈良旅日記を書き続けてきましたが、オレの神社仏閣巡りのホームグラウンドは、京都☆
ちゃんと、京都にも行ってますぜ。でも、この夏、初めてのラリーかもしれません…。

で、今回行ったところは、北野天満宮付近。なかなか行きにくい場所にあるお寺さんばっかりでして、ちょっと後まわしにしていたんですが、ようやく行ってきました。
行ってみたら、あたり☆というか、ワンダーランド!みたいなお寺さんばっかりで、ヤバいです(笑)

今回は、そのなかのひとつ、だるま寺を。

京都は円町にある、だるま寺。一応、法輪禅寺という名があるのですが、観光マップにすら、だるま寺とだけ書かれております(笑)

だるまといえば、禅宗の開祖、達磨大師。
達磨大師は中国の少林寺で修行したインドの高僧ですが、壁に向かって9年間、座禅を組んだお坊さんです。その過酷な修行は、座禅を組みすぎて手足を腐らせるほどでね。だから、だるまには手足がないんですが…。
そうやって開眼した悟りの境地って、あまりに狂気すぎてオレには想像すらつきません。禅の精神を表した枯山水の石庭も、あそこまで世界を抽象的に見るって、やっぱ、狂気の沙汰だと思いますわ。よく、禅とわびさびを重ねる人がいますけれども、わびさびの境地を体得するまでの過程は、やっぱ、狂気ですよ。
だって、手足が腐るまで座禅組んで、9年目にして開眼ですよ。そんなもん、常人には無理でしょうが。ましてや、禅の修行って、今でも過酷だし。まあ、宗教から狂気を抜き去ると、宗教は宗教でなくなりますが。

仏教は、もともとが、人々の救済なんか目的としていなくて、個人が解脱するための身体的精神的な鍛錬のマニュアルを説いたものですが、そこに大乗の考えが入り、救済が目的となり、仏像という偶像も出来、教典という教科書というか権威のようなものも出来てくるわけです。
そういうものの一切合切を拒否して、修行の中にこそブッダが説いたものの真髄がある、原点に返れ、と、実践したのが、達磨大師ですね。
つまり、仏教のルネサンスを行ったのが、達磨大師。

ただ、そういう禅を爆発的に広めたのは、中国に慧能というお坊さんがいたからです。
この人は、人間にはもともと仏性が備わっているのだから、ただ座禅を組んで、自らの裡にある仏性に気づけばいい、と。
この教えのおかげで、禅は一気に爆発的に広がり、今や、ヨーロッパのキリスト教寺院ででも座禅を取り入れる始末です。
念仏を唱えるだけで極楽に行ける、と説いた、法然さんに似てますね。

というような、禅についてのあれやこれやを知ることが出来るのかな、と、淡い期待を抱いて行ってみたら、そんなことは全然なくて、ここはどう見ても、だるまマニアのお坊さんの拠点にしか見えません(笑)

とにかく、ありとあらゆるところに、いろんな種類のだるまが置いてあって、まさに、だるまワンダーランドですわ(笑)
一応、禅を学ぶ達磨道場の拠点、などと縁起には書かれてますが、絶対に、だるまマニアのための博物館ですから(笑)
だるまマニアの方は、ぜひ☆


















あ、おもろいソフトを手に入れたので、だるま寺のプロモ・ビデオなんざ、つくってみました(笑)

『だるま寺』
luis