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2007-09-23

「寺社に負けないおすすめの京都」




毎週土曜日に日経新聞に挟まれてくる日経プラスワンに載ってる、今週のなんでもランキングは、「寺社に負けないおすすめの京都」。
京都に過去5回以上訪れた人にアンケートをとってます。

1位)哲学の道
2位)嵐山公園
3位)嵯峨野トロッコ列車
4位)保津川下り
5位)鴨川べり
6位)渡月橋
7位)東映太秦映画村
8位)比叡山
9位)京都国立博物館
10位)円山公園

という結果となっておりました。
ふむ。5回も京都に行ったなら、どこもかしこも行きそうな場所ですな。

ちなみに、サイトにもアップされてます。



ただ、哲学の道がトップというのは、京都に観光に来る人ならではの意見のような気がします。
たしかに風情があっていい道なんですが、あそこは、今やもう、人が多すぎです。
あんだけ人がたくさんいて、風情もへったくれもないですな。
平日の午前中の早い時間ならまだしも、週末とか、完全にアウトですから!

2位の嵐山公園は、いいですね。
嵐山といえば、渡月橋わたって、芸能人のお店ストリートを抜けて、天龍寺から嵯峨野へ抜けるコースがメインだけれども、嵐山公園は、そのコースから、ちょい逸れます。なので、超人気観光地のわりには、混んでないので、のんびり出来ます。

3位の嵯峨野トロッコ列車と4位の保津川下りは、これはセットみたいなもんですな。観光で京都にやって来て、トロッコや保津川下りをするのなら、ほぼ全員、この両方をセットで行くんじゃないでしょうかね。
ちなみにオレは、どちらも行ったことがありましぇーん。どうもね、タイミングが合わんのですよね。

5位の鴨川べり。もう、オレにとっては、神社仏閣を除くのなら、ここが永遠のナンバーワン・スポットですわ☆ 京都はね、鴨川があるだけで、その魅力が2割増ですから。
鴨川も、有名な川床じゃなくてね、川岸をぶらぶら歩いたり、岸辺に座ったり寝っ転がったり、ここは、本当に気持ちがいい☆ 上流に行けば行くほど、気持ちのいい風が吹いてます☆

6位の渡月橋。この橋は…、わたってるときはべつにどってことない橋ですけどね(笑) 遠くから眺めてるのがキレイですね。ま、どってことないですけど(笑)

7位の東映太秦村。松方弘樹なんかの時代劇役者さんが近所をうろうろしてますが、この映画村自体は、ちっこいころに連れていってもらったきり、行ってないです~。また近いうちに行ってみたいスポットのひとつ。

8位の比叡山。ここを京都に入れるかどうかは微妙なところなんですが、まあ、でも、文化的には京都の文化圏ですな。ご存知、延暦寺があるだけでなく、美術館やら遊歩道やら、ハイキングコースにもなっとります。相方さんの大好きなカフェ『芽愛里』もありますな。久しく行ってません。。

9位の京都国立博物館。それこそ、伊藤若冲ブームの火をつけたところでもありますが、ここはねえ、メジャーすぎます。メジャーすぎて、それほど面白くはない博物館だと思うんですけれどもね。

10位はの円山公園。桜の季節は、名物の枝垂れ桜を囲んで酔っぱらいがたくさんいてるところ(笑)この公園は、東の一番奥が、人もあんまり来なくて、のんびり出来ます。桜の季節、背の低いかわいい桜がたくさん植えられていて、なかなかいいですよ。


さて、選外になってしまってるけれども、ルイスのおすすめを付け加えておきますと…、

京都芸術センター
ここはですね、明治に開校した小学校の建物を利用したセンターです。
各教室で展示が行われたり、ワークショップが行われていたり…、建物自体が明治の建築なので、レトロな雰囲気がアートとマッチしていて、とーっても素敵な空間です。コの字型の後者に囲まれてちっさい運動場があって、その運動場を眺めるかたちで、端っこにベンチがあります。オレ、ときどきそこで寝てますからね(笑) ここも、お気に入りのお昼寝スポット。ちなみに、肛門に一番近いところにある教室は、とーっても素敵なカフェであります。

河井寛次郎記念館
京都国立博物館に行くくらいなら、こっちのほうが全然いい!
日本を代表する陶芸家の河井寛次郎のかつての住居であり、アトリエであった場所が、記念館となっています。彫刻だけでなく、さまざまな表現活動に身を投じた彼がつくったイスにすわってのんびりしたり、木彫に触れたり、もちろん、陶器も。奥に行けば、彼が多くの作品を生み出した昇り釜も見学することが出来ます☆

とりあえず、今、思いつくのはそんなところ。

2006-12-15

夜の音楽


夜の音楽、というジャンルがあります。

夜の静けさのなかで着想された、夜の感覚で音を表現した、夜の孤独者にふさわしい音楽、というほどの意味ですかね。ショパンやフォーレが、そういう微妙な音楽をよく書きました。マーラーの第7交響曲も、夜の音楽としてつくられています。バルトークは、ルーマニアの山村の、深い夜のしじまのなかに聞いたカエルの声から、神秘的な彼の夜の音楽を作曲しました。けっして、尾崎豊がどうとかという話ではなく(笑)

夜の音楽は、不思議なジャンルです。

人々が寝静まって、あたりは深い静けさに包まれる。人間の意思や欲望が掻き立ててきたノイズが消え去ると、かわってそこには、べつの種類のノイズ、自然の内部から湧き上がってくる、たくさんの微妙で、豊かな音楽が、聞こえてくるようになります。しかし、夜のなかで人は眼が見えないから、それがどこから、また誰からやって来る音なのか、わかりません。
そのために、夜のしじまの全体が、この複雑で微妙な音を奏でているような気がするのですね。
人はその体験をもとにして、夜の音楽をつくります。かすかな震え、いつまでも続くかと思われる反復のなかから発生する微妙なうねり、最小限度の要素だけから生み出される、宇宙にも匹敵する複雑さ…。

夜の京都の庭で聞こえてくるのは、このような夜の音楽です。百鬼夜行の音楽とは、まさにそのような音楽です。

京都には、ナマのままの自然は存在しません。どんな小さな自然でも、そこでは、人間の精神によってたわめられ、手を加えられなかったものはありません。
庭園の設計者たちは、ナマのままの自然から、最小限度の要素だけを取り出し、宇宙と生命のすべてを表現してみようとしたわけです。

一面に敷きつめられた砂、その砂の表面に、反復する模様だけが描かれている。月明かりのもと、その反復のなかから、微妙で、豊かな音楽が発生してくる。静かに、渦が巻き起こり、空気がうねっていくような、眼に見えない動きをはじめる。そうすると、さらさらの、抽象的な砂だけでつくられた庭が、精妙な生命を持つもののように、感じられてくる…。
そんなかんじです。

また、べつの庭では、地面を覆い尽くす苔が、あたりをふかふかの緑に変えています。隠花植物である苔には、花はありません。そこでは、生命の花は、眼に見える植物の表面にはあらわれては来ず、見えない生命の内部空間に咲きだします。
そのとき、夜の庭にいて、無数の苔に囲まれたオレは、生命のあでやかな花を見るのではなく、まず、聴きます。表面の彩りは否定され、そのかわりに、植物の内部からは、生命が華麗な夜の音楽に姿を変えて、庭のすみずみまでを充たしています。

京都の町中の、市民の芸術家たちも、負けてはいませんね。
彼らは禅宗庭園を造ります。この抽象の原理を、騒がしい町のなかに持ち込んで、もっと現世的な魅力を持った、彼らの庭を造り出してきました。家並みのひしめきあう京都の町屋の内側に、市民は小さな坪庭を造ってきました。

坪庭は、町屋のパテオに出現する、一種の空中庭園です。
夜、柔らかい灯りに照らされて、その小さな庭は、家屋の中央に、すっぽりと抜けた空虚をつくり出します。そして、この空虚のまわりを、人間の生活の暖かさや賑やかさが、ぐるっと取り囲みます。水を含み、静かな音楽に満たされている小さな庭が、人間の暮らしの中心に、無を穿ちます。
京都の町は、いたるところにこのような小さな無を穿たれることによって、軽さを身につけることが出来たように思うのです。

この軽さは、夜の音楽に特有のものですね。
夜の音楽では、人間的な感情が大きく盛り上がったりはしないし、意思や欲望の強さによって、あたりが息詰まる感覚に充たされることもありません。そこでは、自然にフィットしてつくられた生命たちが奏でる、微妙な音楽があたりを包み込み、人間の世界の騒々しさを、気化してしまいますから。

もしも都市が、人間の意思や感情だけで造られているとしたら、京都のような狭い空間に開かれた都市は、すぐに息が詰まってしまっていたと思います。
ところが、ここでは、いたるところに庭があり、そこでは抽象的な砂だとか、植物の見えない内部空間から発生する微妙だとか、家屋の中空に穿たれた無だとかから、夜の自然の音楽が、生まれています。

そして、静けさと、反復の美と、なにかが月に向かって立ちのぼっていくような感覚に充たされた、この夜の音楽は、この世界がすべて人間のものなどではなく、ここは大いなる流れのただなかに浮かぶ浮世にすぎないという事実を、人に告げようとしているように、オレには思えてなりません。

この、どうしようもない諦念こそが、侘びや寂びの本質か、と、近ごろ思ったりします。
今日、ジェイムス・ホイッスラーの画集を見ていたのですが、ふと、そんなことを思いました。
彼の絵画もまた、夜の音楽の様相を呈しています。


Van Morrison / 『Enlightenment』

2006-09-13

京都情報バブル


ここ数年、京都は沖縄と並んでブームになってますね。
京都本の出版物が増え、あちこちの雑誌で京都特集が組まれます。京都情報バブルですな。

そのおかげで、オレみたいなところにも、その手の誌面作成の仕事が来ることがあります。

京都の観光客数は1999年からずっと上昇し続けていて、昨年度は4727万人だったそうです。まあ、そのなかには、オレみたいに、隣県の大阪から足繁く通ってる人も含まれてるんでしょうが。
この上昇傾向は、5年前のNY同時多発テロが影響していると言われています。この年、海外渡航者数は激減し、雑誌は海外旅行情報を自粛しましたな。
でも、雑誌に、旅行情報は欠かせないじゃないですか。
そこで、脚光を浴びたのが、京都。
京都というところは、海外に代わる、国内の外国って位置付けですね。

東京発の全国雑誌が京都特集を組むとして、取材情報は、多くの場合、京都在住のライターが集め、それを東京の編集担当者が取捨選択します。
この段階で、東京の担当者の視点と京都地元民の感覚とのあいだに、ギャップが生じます。
なんでって、東京の担当者が望むのは、東京から見た、京都の外国度の高さだから。

たとえば、
誌面で紹介する店を選ぶ際、古い店構えや暖簾などの写真映えや、老舗であるかどうかといった記号性が、サービスや味よりも重視されるからです。内容がよくても、エキゾチズムをくすぐる要素がないと、取材リストには残らないということです。
たとえば、相方がバイトしているcaffe Luccaというカフェは、どの街に持っていっても恥ずかしくないレベルの高いカフェだと思うけれども、でも、京都と聞いて思い浮かべるイメージからはかけ離れているので、取材対象からは除外されるわけです。たとえば、caffe Luccaが東京の荻窪あたりにあって、どこかの雑誌が荻窪特集でもやれば、載るんでしょうな。

だから、大量に出まわっている京都情報の中身は、海外リゾート地ガイドのそれとおなじで、いかにもそれらしいお店が並んでます。いくらかマニアックになったところで、その枠組み自体は変わらない。

まあ、ガイドだから当然なのだけれども、外国的要素だけで構成された誌面は、やっぱ、ヴァーチャルな世界ですね。地元民やオレみたいな半地元民からすると、違和感ありまくりです。京都にかぎらず、観光地に住む人は皆感じていることだろうけれども。

世襲制が長く続く暖簾、着物姿、むかしからの町屋、伝統工芸、季節感とともにある和菓子や京料理…、これらはすべて、なんでもあるはずの東京にはないものばかりです。
自分にないものをありがたがり、逆に、それ以外のものには価値観を見出さないメディアの態度は、意地悪な言いかたをするなら、アジアや辺境地に自ら反対の価値を押しつけ、ノスタルジーに浸る類いの旅行者の植民地的なセンスに通じています。

とはいえ、京都にやってくる旅行者の、京都で癒されたい、日本を感じたいという欲求は、切実に聞こえます。
mixiにも京都旅行をテーマにしたコミュニティはたくさんあるのだけれども、どれもビックリするくらい充実しているし、そこに顔を出す人たちのなかには、何度も新幹線に乗って京都に通い詰めるマニアックな京都ファンがたくさんいます。

たぶんね、ヴァーチャルな京都のイメージとその魅惑は、欠乏感の裏返しなんだと思うのですよ。
だから、こうした京都ファンのあいだで共有される京都のイメージは、修正されるどころか、ますます硬直化しているように感じます。


というようなことを考えるようになったのは、
mixiで、旅日記を連載している人がたくさんいるとわかってからですわ。
現在進行形の日記じゃなくて、いつかの長旅を、時系列で毎日アップしていくようなスタイル。
で、
そのほとんどが、雑誌やなにかで調べたものを実際に観にいって感動してるのやら、牧歌的な風景や人の人情に触れて癒された感動したって話ばっかりで。
感情がそうなのか、感情の発露の仕方がそうなのか知らないけれども、はっきりいって、紋切り型なのですよ。
大草原の雄大さに惹かれてモンゴルに行く人はたくさんいるんだろうけれども、なんかね、それを再確認して、感動した、って、それだけ。
オレなんて、大使館員の機嫌損ねてビザを発給してもらえなかったから、モスクワ行きのシベリア鉄道に乗って、モンゴル国内で電車から飛び降りて、しばらく密入国状態で遊んでたら、地元警察に見つかって、国外強制退去させられましたよ。だから、オレ、モンゴルは嫌いなんです。

そういう人、オレ以外にもいてると思いますよ。
でも、モンゴルに行ってモンゴルを嫌いになった人を、オレは見たことがありません。

石庭で有名な竜安寺は、今、工事中です。石塀があってこその石庭なのに、今、その石塀には醜いブルーシートが被せられています。でも、拝観はしてるし、拝観料も通常通り。
そのことをきちっとフォローしている記事は、いわゆる京都特集もののなかには、ないですね。

ブルーシートは、京都エキゾチズムには似合わないですからね(笑)
ブルーシートは見えないことにして、せっかくの貴重な石庭だけを見て感動しろ、と?(笑)

ちなみにオレは、竜安寺の石庭にブルーシートがあろうとなかろうと、あんまり好きじゃありません。

2006-05-28

「雨の日におすすめの京都」





今週の「NIKKEI プラス1」のなんでもランキングは「雨の日におすすめの京都」。いつもながら微妙にマニアックなランキングです(笑)

1位 詩仙堂
2位 高桐院
3位 石塀小路
4位 天龍寺
5位 祇園新橋・葵橋
5位 三千院
7位 南禅寺
8位 糺の森
8位 二年坂・産寧坂
10位 祇王寺
10位 青蓮院門跡
10位 白沙村荘

有名どころも入ってますが、そうではないところも入っていて、普通の京都観光人気スポットランキングとは微妙に違ってますね。清水寺、金閣寺、銀閣寺、三十三間堂…ランク外です。

もっとも、このアンケートは「専門家に聞いた、雨の日におすすめの京都」なので、雨であろうがなかろうが、多少はマニアックな結果が出るんだと思います。それだったら、なぜ、オレに聞かん?(笑)

だって、1位の詩仙堂なんて、雨が降ろうが降るまいが、ここ数年、順位をグングン上げてきているところだし。たぶん、「2度目3度目の京都で行きたいところ」みたいなアンケートをとったら、やっぱり1位になると思います。
詩仙堂は春のサツキと秋の紅葉(ライトアップが素晴らしいです)が有名ですが、年中なにかしら見応えのある花が咲いているので、いつ行っても気持ちのいい場所です。でも、散策するのにちょうどの規模の大きさの庭なので、雨の日に行くよりは晴れた日に行くほうがいいと思うんですけどね。

むしろ、2位にランキングされた高桐院を1位に推したいです。
石畳&苔の参道は、雨の日に映えると思いますよ。雨に濡れた石畳は黒々として風情があるし、苔は雨水をたっぷり吸ってみずみずしさを増します。これ、黄金の組み合わせだと思うけどなぁ。

3位の石塀小路…、これも、雨が降ろうが降るまいがあんまり関係ないような…(笑)石畳の狭い路地を挟んで料亭とかがあって、日本人が普通にイメージする京都の風景が、そのままある、ってかんじです。それでいて神社仏閣とは無縁の場所だから、通ぶったイメージもあるじゃないですか。

10位にランキングされた祇王寺は、晩秋の雨の日に行ったことがあります。散った紅葉が地面全面に敷きつめられたようになっていて、さながら真っ赤な紅葉の絨毯でした。オレは、紅葉が散って地面が真っ赤に染まる風景が好きなので、例年、遅めの12月上旬にあちこちの紅葉を観にいくようにしてるんですが、こんときの祇王寺は、当たりでした☆ 雨も長時間降り続くと地面がグシャグシャになって汚いだけですが、そうなるまえだと、地面に敷きつめられた紅葉が雨に濡れて、より鮮やかさを増します。それはそれはキレイ☆

同じく10位にランキングされた白沙村荘。銀閣寺のすぐそばにある橋本関雪の住居跡ですが、まあ、これもマニアックな部類に入りますな(笑)銀閣寺は人混みでごった返してますから、喧騒を避けるために、こっちへ行くのはいいかも。しーんとしてますから。石塔がたくさんあって迫力のある庭ですが、しーんとしたなかで石塔と向き合っていると、なにやらいいかんじです。ただし、ここの庭は、重文指定されていないために維持費が捻出出来ないんだと思いますが、荒れてます。

オレなら、このランキングに正伝寺(http://www.mediawars.ne.jp/~tanimura/a_map/form/kyoto/kyoto_temple/syouden_ji.htm)を加えるかな。
小堀遠州作庭のあっさりした庭があります。七五三に刈り込まれたサツキの庭園越しの比叡山借景がいいかんじで、人も少ないし、雨の日だと余計に風情が増します。

そういえば、オレの相方は、強烈な雨女。デートの日にピンポイントで台風を呼び込んだり、前後の日が晴天でもその日だけ雨だったり…。
正伝寺を訪れたときも、雨でした(笑)